ここ数日依存症をテーマに書いている。まず私たちを依存症にしようとするマーケティングについて。
依存症マーケティングに気を付けるそして二回目はマーケティングをするなら良い習慣を引き起こすようなものに自分は限定したいという話。
習慣化マーケティングを活用する最後の三回目は、依存症というのは、衝動や感情の沸き起こりから直結してしまう回路だと思うと、丁寧で自然な暮らしの時代には依存症というのはなかったのではないか?という私の考えについて書きます。
インスタントであることの危険な誘惑
行動のトリガーになるためには、接触頻度を上げてくることがマーケティングとしては有効であり、時間、場所、精神的にもいろんなアプローチで接触機会を増やそうとしてくる。
代表格としてコンビニエンスストアがあるだろう。コンビニエンスストアで手に入らないものなどないほど便利で簡単である。コンビニエンスストアについよってしまって、チョコレートパンを買ってしまうようなことが容易に起こる。
おそらくコンビニエンスストアで依存性の高いものを買う以前に、コンビニエンスストア依存症というものがもうあると思う。そのくらい利用することを習慣づけられている。簡単、便利であることに抗えない。
他にも簡単便利でインスタントなものを考えてみる
インスタントラーメン、美味しくて簡単で便利だ。カップ麺なら器もいらない。しかしインスタントラーメンを食べ過ぎたら不調を招くだろう。私はチョコレートパン依存症だが、菓子パンも明らかに健康に悪いとわかっていつつ食べてしまう食品の代表格だと思う。そしてそのマーケティングの中心はコンビニだと思う。
他にもたくさんあるのだが自分が困ってるインスタント依存の代表、ポルノ中毒
インスタントなポルノ中毒である。あまりこれについて語る人はいないので実態が掴めていないだけで多くの人が同じ状態にあり、世の中に大きなダメージを与えているようなことなのではないかと思う。
特に男性向けポルノにおいて、性を消費財として便利で簡単にし、注意喚起もなくマーケティングされてきたここ30年くらいは異様な時代だったと後で言われるのではないかと思っている。そして最近では女性向けポルノも産業として発展しているため今後同様の問題が女性にも起きると思っている。
80年生まれの私は、少年誌青年誌のグラビアが元気な時代に思春期を過ごし、始まりアダルトビデオのVHSが全盛期に成年になり、インターネットでもっと大量に簡単に見れるようになり、SNSで個人のアダルトクリエイターがいるような時代である。
40歳くらいの時に、インスタントな性のマーケティングにより、自分の感覚がかなりコントロールされている、とふと気がついた。
依存症は簡単で早くて便利なことに起因している
丁寧なチョコレート、丁寧なコーヒー、丁寧なパンをもし自分で作っていたら、手間と時間がかかる。材料から作っていたら尚更だ。しかも楽しい。
これならおそらく依存性は低いだろう。なぜかといえば、思い立ったらすぐ食べれるものではないからだ。衝動から結果を得るまでに時間がかかるので、脳の回路が強化されることもない。コストも莫大だ。
やりがいがあって、ゆっくりで、丁寧なものにこだわる
食も性も本来自然なものである。そして自然は勝手に生えてくるパワーはあるけど、ゆっくりだ。
インスタントな愛で簡易に癒されたと錯覚するポルノ中毒。それを脱するには、取り組みがいがあって、ゆっくりで丁寧な愛を実践する必要がある。