行列の話。
昨日の昼間の話である。
普段よく通る道に、とあるお茶屋さんがある。
もちろん何度も通る道なので私はずっと認識していたけど寄ったことはない。
自分がお茶屋さんを手伝っていて「お茶でも買ってみるか」とふと目にとまる。
現金オンリーだったのでその日は財布もってなくて見送り、翌日寄った。
そしたら、ソフトクリームがおいしそうだったのである。
お茶もソフトクリームも良心的な価格。
ホットの上級煎茶と、ソフトクリームを食べた。
なんとなく、道の脇だから立ち止まって食べていても往来の邪魔にはならない。
積み上がった段ボールが店の脇にありそこに荷物をちょっと置かせてもらいながらアイスを食べていた。
往来から人が流れてくる
普段の私と同じように、すごい勢いで目の前をたくさんに人が通り過ぎていく。
ところが、
私がソフトクリームを食べているとおいしそうなのだろう、
よくみんなが私を見ているのである。
おそらく、暇な旅行者か何かだと思われてるのだと思う。
そして1人、また1人と立ち止まる。
私を見て、店の看板を見て、メニューを眺める。
「ソフトクリームやってるのか」
など口にしたりしている。
女性のお客さんがメニューを真剣に見てそして並ぶ。
その後ろに、さっきまで店内でお茶を買っていた夫婦も、「食べていけるみたいよ?」と外のカウンターのメニューを見始める。
外国人夫婦がその3人の列の後ろに自然にならぶ。
その後ろにさらに何だろう?と男性が並ぶ。
あっという間に5人の列が出来る。
その様子を横でソフトクリームを舐めつつ、上級煎茶を楽しむ。
この5人の行列と、横でたべている私、この姿は今通り過ぎていった人たちにきっと大きな興味を抱かせたであろう。
もしかしたら今日にその人も店に寄ってソフトクリームを食べるかもしれない。
興味、関心をどう喚起させるか
私は長い時間軸でその店の存在に興味をもった。
ずっと認識はしていた、認知はあったけれど立ち寄るという行動変容までは起こせていなかった。
しかし自分がお茶に関する情報を集めはじめたことがきっかけではじめて立ち寄ったのである。
それは小さな変化であったが、私が立ち寄ったことで、
その様子を見て興味を持って立ち寄ったのである。
暑かったしみんなソフトクリーム食べたかったのであろう。
長期的または短期的に、
興味、関心を喚起させることの重要性を感じた。
ブログを読んでもらうこととは?
私の知人の多くは「最近、鈴木さんがなんかブログを書いていることは知っている。さぞや暇なのだろう、優雅なものである」と考えているにちがいない。
しかし、もうすこし近況を知ってる人、興味関心を持ってくれている友人は
「毎日書いてるらしい。優雅でも何でも無いらしい。仕事が無くて営業しているだろう、大変だな。」
と思っているだろう。
さらにもっと状況を分かっている人は
「自分で物書いて・しゃべって、オリジナルコンテンツをつくってそれだけで収益を上げようとしているらしい。かなりチャレンジングで棘の道だろう、がんばってほしい」
と応援してくれている。
詰まるところ興味関心とは愛である。
日々、読んでくれたり、気にしてくれたりしているのはまさに、
愛してくれているということなのだ。
興味を持ってくれて、読んでくれているあなたの愛を私は感じています。
いつもありがとうございます!
短期的な愛、中長期的な愛
読んでくれるあなたに、すぐに力になりたい、何か役立つ情報を届けたいと日々思っている。
それは短期的な興味関心、愛に結びついている。
あなたにすぐ使えそうなネタをお届けしたい。
中長期的な愛としては、私は生きている、あなたも生きている。
ともにただ、生きている、というだけで心強くなる。そういう状況報告としての中長期的な愛である。
時々、思い出して「あいつ何やってるかな?」と近況を確認してくれればそれでいいのである。