受験戦争(?)を勝ち抜くために一所懸命集中して勉強する高校生に家庭科の授業が必要か、という質問を私がしたのか、誰かが聞いたのか思い出せないが、家庭科の先生に聞いたのである。
どちらにせよ飛んだ「ど阿呆」だと思うのだが、高校生は厚顔無恥である。
今日もその時の先生との問答を鈴木の脚色でお送りします。
家庭科の授業って必要?
家庭科の授業に興味がない生徒は多かったと思う。サボる人もいた。サボってる時に何をしているかといえば、英語や数学の勉強をしているわけである。受験勉強に関係ない家庭科の時間はコスパが悪いという判断である。
ミシンの授業で半纏を作る授業か何かだったと思う。
それがまた異様に難しく、私も含め多くの男子が苦戦していた。もちろん女子も苦戦していたけれど。
そして多くの生徒が「自分はこの後一生、半纏を縫うことはないだろう。そもそも買えばもっといいものが安く簡単に手に入る」そう思っていた。(と、私は勝手に思う。)
あまりに苦戦して、塾と自宅と学校で勉強詰めのストレスな高校生男子(多分、2年生)が質問したのである。
「受験生に家庭科の授業って必要なんですか?」と。
先生の回答は痛快であった。
「そんなことを聞く人にこそ家庭科の授業が必要だ」
また聞いたのが男子だったから「そんなことを聞く男にこそ家庭科の授業が必要だ」と答えていたかもしれない。
家庭科で習う生活全般の知恵、自分で暮らし生きていく術(すべ)を持たない人間が果たして豊かだろうか?
一生懸命、受験勉強して企業戦士になって、家事もできない、家庭をかえりみない男は時代遅れだろう。
その後、離婚されて1人になっても自分で何にもできないんだぞ?それでいいなら家庭科の授業は不要だ。
と言い切られたのである。
役割分担=男女差別
家庭科で習うようなことは「女性がやるもの」「女性の役割」だと阿呆な高校生男子諸君は思っていたのである。昭和の男女差別の価値観をしつこくひきずっていたのである。
男女どちらにも必要なスキル、且つもはや親の世代でもできないであろうスキルを高校で教えてくれてるのだから、それだけレアリティが高く面白い授業なのだ。
昭和の高度経済成長期の企業戦士と主婦のバックアップという役割分担=男女差別をそのまま受け入れている高校生男子の実情がそこで明らかになったわけである。
驚いてガラガラと何かが音を立てて崩れていくのを感じたし、そういう顔をしている男子がたくさんいたのである。
半纏は結局、ばあちゃんに縫ってもらうがマインドセットはリセットされた
家庭科で習うことを将来自分は使うことになるだろう・・・、と確信してそこから真面目に取り組むのである。
しかし、半纏は宿題になり結局作れなくてばあちゃんに作ってもらったのである。
その半纏はそれから10年近く父親が愛用していたのでなんだかよくわからないけど、すごくいい半纏になったのである。