先立つもの、現金よ!
「先払いなら、お金が先にくることだってあるでしょう?」
「ベンチャーキャピタル先に資金調達できて、ウハウハじゃないですか?だからいつもお金が「後から」くるとは限らないでしょう?」
そんな声が聞超えてきますね。
逆にこんな声も聞こえてきそうです。
「儲かることばかり考えてちゃだめだ!まずは苦労しないと!」
「人の役に立つ事を、持ち出しでもやらないと人間だめになる!」
お金はあとから付いてくるから、損して得取れ、とにかくこの仕事、無償でやれ!
みたいな、ひどいワンマン社長やクライアントがいたら、すぐに関係を断絶したほうがいいのは間違いない。
さて、そうやって都合いいように使われそうな
「お金はあとからついてくる」これどういう意味なんでしょ?
先払い?後払い?
お金が後とか、先とか、どういうことなんでしょう?
しかし、そもそも後からって、何の後、なんでしょう?
サービスや商品を提供した後、についてくるのか?
損した後、についてくるのか?
死んだ後、についてくるのか?
なぜ後からなのか?
支払いが先払いか後払いか、とかはあんまり関係ないのです。
お金は後からしか付いてこない、ということについて考えてみます。
お金って何?
風、水、電気、気、と同じようなものでお金は目に見えないけれど「流れ」の一種なんだと思います。
その流れを、一時的に目に見えるようにしているのが、現物の現金であり口座の残高でしょう。
本来は目に見えない流れなのだと思います。
何の流れ?
いったい何の流れか?というと人間の気持ち、感情の流れだと私は考えています。
お金は欲望の可視化である、とも言われます。これも気持ちであり感情でしょう。
欲望の場合、達成する、奪う、そういった衝動的で強いパワーも感じますね。
お金が嫌い、怖い、という人はこういうマインドセットかもしれません。
お金は信頼の可視化である、とも言われます。
この場合、やさしさや感謝、そういった感情の流れと考えれます。
水や風が流れさった「跡」のようなもの
感謝の気持ちが流れてくる、それを見えるようにしたのがお金である、と思うと、消費社会、貨幣経済も悪くないですね。
本来は、目に見なかった気持ちが形を持って、とっておいて蓄財できるというのもお金の面白い特徴です。
でもやはり、感謝の気持ちの流れの、跡、残り香、として流れたあとの風紋のようなものがお金という現実の姿だと思うのです。
だからすべては、通り過ぎた後の姿なのです。
なので、先になんらかの感情的な動き、感謝の流れがあった「後に」お金として現れているということです。
だから「お金は後からついてくるもの」なのです。
今、この瞬間は、お金より先にある
お祝いや贈り物、それから商品やサービスの提供においても
だれかと誰かの、心の交流、信頼や優しさの交流、その瞬間が先にあります。
おいしいたべものを一緒にたべてくれてありがとう、という瞬間があってその感謝の気持ちが、相手から自分へと流れてきます。それが最終的な、お金の流れとして自分のところに跡が残る。
私はそう考えています。
だから、先にお金だけ奪っても意味はない
交流を通じて信頼や感謝の気持ちの流れに人間の幸福、寂しさを埋めてくれる慈しみがあるのなら、
その痕跡でしかないお金だけ奪っても、
受け取っても幸せは感じられないと言うことになります。
お金があると出来ることは広がるので、幸せに本来は近づけるはずですが、
お金だけ集めることに躍起になってしまって、一向に幸せになれない人は、
お金の持つこうした習性を理解できていないからです。
先に幸せになってから、お金も結果として手元に滞留している、ということになります。
お金を使う、払う、分ける、シェアする。これは感謝や喜びをシェアすること
同時に、お金を使うことに嫌悪感を持っている人がいます。
消費、浪費に対する拒否感です。過剰なマーケティングや、買い物依存症のようになってしまってお金を使わされて恐怖感すら抱くこともあります。
しかしこれも、自分のところにきた感謝を、また他の人への感謝として分けていこう、シェアしよう、流していこう、譲っていこうと考えると、お金を使うということの意識も変わっていきます。
流れは上から下へと自然と流れていく物ですから、感謝の流れを上流の自分のところで止めてしまうのも後の人が困るでしょう。
そういう意味で、きれいな水のまま下流へ送り出すことも大事なのです。