男性は誰しも自信が無い

前書き

今日のテーマは「自信」と「勇気」を要求される男性の話である。

実際のところ男女は関係ないかもしれない。だから女性にも当てはまるかもしれません。しかしいったん今日は男性を主語に書いています。

男女という二つがある理由は、ランダム性を上げ、多様性を上げて人類の生存確率を上げる知恵なのだと思う。

そうした時に、異性はどこまでいっても、理解できない。

私はどこまでいっても女性の考えてることは解像度がぼやっとしているのである。

そして理解できないから寂しいのであるし、愛おしくもあるのである。

またそれは異性に留まらず、本質的には他者を完全に理解することが出来ないという気づきにもつながる。

だからこそ、悲喜交々(ひきこもごも)人生は面白いドラマなのだろう。

「自信がある」とうそぶく男性

「俺は自分自身を信じている」

「私は自信がある」と発言する男性がいる。

これは自分への暗示、鼓舞である。

本当は自信なんて無いのである。

でも、たとえ自信が無くても飛び込まなければならない。

自然に身を任せる、つまり恐怖を手放す必要がある。

心の中では恐怖に押しつぶされそうになる。誰しもそうである。

そういう時に自分に言い聞かせる。

「俺は出来る、飛べる!」

「自信が無い」と語る男性

自信が無いと語る男性には2タイプいる。

「自信が無い」と発言し、実際に自信が無くて不安と恐怖に押しつぶされそうな男性である。

素直で正直ものである。

しかし、いざとなれば勇気を発揮して飛び込んでいくのである。

もう片方は「自信が無い」と発言しつつ本当は「自信がある」と思い込んでいる男性である。

社会的な姑息さを持った男である。

「いやいや、私も自信が無いですよ」

と失敗の保険をかけている。

そう言いつつ、なんとかなるだろう、と思っていた。

ところが、土壇場にきて恐怖に押しつぶされそうになる。

逃げ出したい、やっぱり自信なんて無かった、これまで向き合えて無かった、と気づくのである。

でも結局、やることは同じである。

「逃げ出すか、飛び込むか、結局は二つに一つなのか」

と諦めて腹をくくれるかである。

何も言わない男性

誰も自信など無いことを体感している。

誰もが恐怖に押しつぶされそうなことを理解している。

だから何も言わない。

ただ自然に、恐怖と向き合い、恐怖を受け入れて、恐怖を手放していくのである。

誰もが自分で克服していかないといけないことを分かっている。

ただ行動で示すのみである。

蛇足

昭和の時代なら「男は黙って」何も言わない男性が、まあかっこいいとされた。

男性は行動しか信じられない、と思っている節が強い。

「言葉もまた現実である」ということを見落としがちである。

令和の時代の男なら

「言わないとわかんないよ」

ってのもまた事実であり。

「自分に酔ってないで、その気持ち、ノウハウ、シェアしてよ」

という時代でもある。

勇気ある物語が、誰かのヒントになり救われる人がいるからである。