(写真はスズ|奥能登国際芸術祭2017の時の塩田千春さんの「塩取船、砂、赤い毛糸」奥能登国際芸術祭2023も久しぶりに見にきます。楽しみです。)
自分の話をすると、脳内にドーパミンが放出され快感を覚える、と科学的にも言われちゃってる。
自分語りが快楽であることはおそらく、その通りなのである。長時間自分語りする人、嫌ですよね。
自分語りする自分が恐怖
しかしそれ以上に「自分が自分語りしてしまって他人からそう見られる」ことを恐怖している人がたくさんいると思います。
でも心配いりません。
皆さん、実際のところそんなに自分語りしてません。むしろ自分語り不足です。
聞きたいのでもっと自分語りしてほしいです。生きるヒント、参考になりますから。セキララに話してくれほどに面白いです。
自己開示の恐怖、コミュニティから疎外されることの恐怖があるわけです。これもまた過度に「嫌われたくない」嫌われない自分というキャラクーを演じる承認欲求の亜種なのじゃないかと思っています。
聞きたいです、あなたの話。勇気を持って多少厚かましく自分のことをしゃべってほしいです。教えてほしいです。
これまで苦労を、またそれを克服したノウハウを。
そうは言っても自分語りには練習が必要である
うんざりされる自分語りと、喜ばれる自分語り、それと気付かれない自分語り、の違い。
それは、練習の差です。
面白い話、相手が興味を持つであろうネタを中心に、話もわかりやすく組み立てられているのが喜ばれる自分語りである。
ネタをしっかり選ぶこと、これもたくさん自分語りをして相手の反応を見たことによりわかるセンスです。
同時に、話の仕方、順番、これらも聞いているお客さんの様子を見ながら自分の話が伝わっている、面白いと感じてくれているかどうかを、聞き取りながら話します。
上手に話すとは、聞くように話すことである
自分が話しながら、同時に聴く人として聞きながら何が疑問に思うかな、こういうことが聞きたいかな、と考えながら話す。
相手がこういうことを聞きたいのではないか、この表情はこう言ったことを言いたいのではないか?ということを仮説として立てながら話をしていく。
YouTubeで誰もいないで話す時も、聞き手が何を思うか、また聞き手が言いたいことは何か、それを代弁できないか、というようなことを考えながら話す。
話すということは、相手に伝わってほしいというゴールに向けての行動なので、相手を意識しながら、相手がどう考えているかを想像しながら話すことが肝要である。
まるで「話を聞いてもらえた」「私のことを代弁してくれた」と聞き手が思えるような話ができたら、喜ばれる自分語りになっている。聞き手にとって有用であろう。
承認欲求は相手あっての概念
承認欲求を満たすことが難しいのは、自分一人で完結しないからである。
相手からの承認、賞賛があってはじめて満たされる。
そう考えると、相手が認めてくれるほどの自分のアピールというのは、ものすごくレベルが高く、訓練が必要なものである。
自分語りをYouTubeやブログでしまくって洗練させていき、聞き手、読み手が面白いと思えるレベルまで昇華すれば、ようやく、自分の承認欲求も満たされる。
承認欲求を満たすためには、毎日地道な発信の訓練が必要であり、近道はないのである。
編集後記
毎日午前中には記事をあげていたのですが、ちと週末立て込んで今朝、歯医者もいれてしまい、ロケも苦戦し、など言い訳多数で、この時間です。精進していきます!
a new thing a day
イイノホールでお芝居を。早く「3」が見たいよ。