一流を生きるがいいに決まっている、と思いがちですが
そうでもないよね、という話をしていきます。
一流を目指さないなら意味ない?
「三流を増やしてもしょうがないよね。それって生産性なくない?」
「うーん、過激だね。でもなんでも一流を目指せるわけじゃないからさ〜」
「いや、そういう事じゃ無いんだけど、
本来向いてない人を
けしかけてはじめさせて、
三流を大量生産して、
自分達はそこから補助金なりなんなりで
実利をとろうっていう、それってすごい
自分勝手なビジネスだよね、って話なのよ。」
「なるほどねー」
「三流が悪いという訳じゃなくて
ビジョン無く、三流をどんどん増やして儲けよう、
しか考えてないってのが嫌なんだよ。」
「まあ一理あるかもねー」
向いてない人が、
食い物にされてる、
みたいな事に対する、義憤の話である。
分からんでも無いけれど、
三流として生み出された人ははたして不幸だろうか?
三流?一流?
何だろうな?
と考えるいい機会になった。
私、三流トライアスリートです
下手の横好き、上達しない趣味に熱心な様子であり、また本筋から横にそれた話、という意味である。
まさにそのことわざの通りで、
私は到底、トライアスロンで上位は狙えないし、
賞金をもらうような選手にはなれない、且つ望んでもいない。
まさに、
「一流目指さないのになんでやってるの?」
と言われても仕方の無い、三流トライアスリートである。
しかし、エイジ枠で参加してるトライアスリート達の多くが、
健康と趣味と、楽しみのためにやってる三流アスリートであろう。
三流、面白いじゃん?
と思った瞬間である。
私は、三流よりも手前の初心者ドラマーであり、
三流ギタリストであり、
三流の絵描きでもある。
三流のカメラマンでもあるし、
三流の監督でもある。
やってみようよ、
は三流の育成ブログでもある。
私、一流のWEBプロデューサーです。
プロとして第一線でやっている人は皆一流である。
そして、頭一個以上抜けて、とんでもない成果を出し、
世の中に貢献してる人は、超一流である。
その超一流を
別枠でもうけてくれれば、
私は、
WEBのプロデューサーなら一流かな、
と思っている。
そんなに目立ったり、
凝ったことを出来る訳じゃ無いんだけど
お客さんと、視聴者のためになるWEBのあり方、
お金や労力を無駄にしない方法を考えて、
一緒につくる喜びを味わう、プロである。
「なんか困った事になっちゃって・・・。」
「まあまあ、なんとかなりますよ。やってみましょう」
というプロである。
だから、そこは一流と胸を張れる。
私、二流の企画マンです。
私は、企画プロデュースの仕事でも食べています。
すごくたくさん相談を受けてます。
他の企画マンに比べて
比較的頼みやすいのだと思う時がある。
それは柔軟だからです。
お客さんの要望に合わせて
「それならこういう企画ですかね?」
とか企画をどんどん変えちゃうからである。
「鈴木さんって、企画のこだわり薄いっすよね」
とかお客さんやスタッフからもよく言われる。
良くも悪くも、企画にこだわりと背負い込んだものが無い。
「俺の企画って、華が無いよな。」と思うことも多い。
さらに周りに一流の企画マンがたくさんいた環境でも仕事してきたので
「企画は考えたい奴が考えればいい、
お客さんのことを思って、
どう折り合いつけてくかがプロデューサーの仕事だから。」
と言ってきた。
企画マンとしては芯も細く、
弱い、華もない
がでもだから相談しやすくもある、そんな二流企画マンである。
二流企画マンは結構仕事がある。
そして、
二流ベーシストで、
二流YouTuber(三流!?)、
二流ブロガー、
二流宣伝プロデューサーである。
三流、二流、一流、自分のパワー配分
三流は楽しい。自分の幅を広げるために必要なことである。
大いに三流を謳歌しよう。
二流はある意味本命の仕事である。
二流でもしつこく食らいついて、
仕事をして食べていく。
一流は戦略的に絞り込んで切り取った断面である。
誰でも、なにか絞り込んで絞り込んで絞り込んで、且つ、角度も鋭く切り取ったら
何か一流といえる者がある。
1つあれば十分であり、あれもこれも一流でありたいと欲張ったら苦労する。
私も何でもレベルアップして一流を目指したいと思ってしまうけれど、
そんなエゴをできるだけ手放して、
新しく三流になれることを見つけていく方が、
心の健康にいいのである。