人生の原理原則、北極星。ブレない軸?

人生の航海を進めるときに、

自分の真北、北極星が

人生哲学であり、その人が大事にする原理・原則である。

誠実でありたい、公正でありたい、慈悲深くありたい、

これらは時代や価値観が変わっても、自然や人間の原理原則に根ざした根源的なものである。

いつも北極星を見て生きていくことは、

すばらしく、確かなものである。

しかしである。

北極星を目指して進んでいくのだけれど、

北極星にはたどりつけない。

ものすごい高出力のロケットを開発しないと、北極星には到達出来ないし、

北極星をめざしてたんだっけ?となる。

完璧主義者は、がんばって北極星への到達を目指すが、

それは人間には不可能なのである。

この記事を書いた人

誰もが皆アーティストである。だから勇気を出してやってみようよ。毎日発信を続ける朝活YouTuber鈴木ひろおが2022年12月より毎日連載でお送りしています。

メルマガ 「40代男性、居場所がない人への処方箋」集中連載中!作家兼プロデューサー、絵描き兼カメラマン、ベーシスト兼ドラマー、フルマラソンランナーでトライアスリート。

北極星はたどりつけない。目指すべきシンボルとしてのありようである。

北極星はあくまで目指す方向性を教えてくれる指針である。

原理原則は、大きな人生の方向性を間違えないようにしてくれるけれど、

人間は、完璧に原則通りには生きられないし、

矛盾をはらんでいるし、途中で壁に阻まれたり、

怠惰だったり、いろんなことで挫折する訳である。

だから、宇宙の北極星は絶対的な方向ではあるものの、

あくまでたどりつけないシンボルである。

もっと具体的で、人間に到達可能な目的地を持つべきなのである。

人生の到達可能な目的地

目的地は、真北の方角にあるがたどり着くことができるのである。

北極星を見ながら進んでいけば、たしかにいつかはたどりつける場所を指定するのである。

慈悲深くありたいと願って生きていても、

誰かを恨んだり、憤りを感じたりすることはあるのである。

その時に、完璧主義者だと、

自分の原理原則と行動との矛盾に、よりストレスを感じ、思い悩む。

まずは身近な人に、自分の好きな3m以内の親近者たちに慈悲深くありたい、

ということからはじめたら良いし、

親しき仲にも礼儀あり、時には距離をとったり

完璧に慈悲深い親にならずとも良いのである。

たまには鬼ババになってもよい。

北極星だってあやふやなものである

人間が目指すべき、原理原則のメタファーとしての北極星。

しかし北極星だってあやふやなものである。

なにより北極星は昼の間は見えない。

そうすると誰しも、

あっちへふらふら、こっちへふらふら、

けれど、夜になって北極星を見れば、

「やばい、かなり曲がってた!あっちが北か」

とふらふらを、もう少しそっちへ差し向けることができる。

そういう程度である。

さらに言えば、なんと北極星すらズレていく。

そしてあまりにずれると入れ替わる。北極星は交代制である。

ここ1500年くらいの間、こぐま座のポラリスが地球の北極星を務めている。

その前は、こぐま座のコカブがBC1100〜AD500年くらいまで、さらにその前はC3000〜BC1100年までりゅう座のトゥバンという星が担当していた。

逆に西暦4000年くらいに、ケフェウス座のエライに交代する。

なんともブレブレである。

しかし、それが良い。真面目な昭和の長男諸君は北極星をめざし過ぎなのである。

北極星だっていいかげんなものである。