蓮は泥より出でて泥に染まらず

周敦頤(しゅう とんい)の短文「愛蓮説」の一節。泥から生まれても泥にまみれず、美しく気高いハスの花についてである。

2023年7月20日時点での上野不忍池は5分咲きといったところか。来週あたりがピークかもしれない。ここまで通ったらピークを見逃したくないと思う。

劣悪な環境でも気高く生きる、という意味

環境の影響は大きいけれど、それと自分自身がどう生きるかは全く別ものである。泥の中に生まれて恵まれてない、と思ってもそこからどう生きていくかは自分の意思である。

泥って栄養満点でいいんじゃない?

泥に生まれることがハスにとってマイナスかどうか、ということもそもそもある。

泥は有機物も多く、栄養満点で。また水の中だから動物も鼻が聞きにくく掘り返されて食べられたりしないしいいところなんじゃないか。植物は、環境を探し、環境に適応しながら進化している。ハスが反映するために湿地帯の泥の中は最適な環境だったのだろう。だから、泥が悪いとは言い切れない。

泥を楽しめる、というのが自由な生き方、発想のヒントであり、最高の環境というのはケースバイケースで変わっていくので、普遍的なものではない。泥の中がハスには最高の環境だ。

置かれた状況と自分の自立

泥がいいところだと感じたとして、泥に染まって、泥が好きそうな生物を呼び寄せる真っ黒い花を咲かせる、という進化の可能性もあったかもしれない。

しかしハスは、あのハッとする透明で美しくまっすぐ空を向いた花を自ら咲かせたのである。

そこにハスの努力、置かれた状況の延長線にない結果、飛躍的な付加価値生産を生み出したのである。

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