鈴木の趣味はさっと思い浮かぶだけでも、
美術館鑑賞、木版画つくり、水彩画つくり、
ベース、ギター、ドラム、作詞作曲、音楽鑑賞、ライブ鑑賞、
カメラ撮影、映像撮影、ホームページ作り、
読書、小説を書く、
マラソン、トライアスロン、瞑想、
登山、里山遊び、花の観賞、土いじり、畑作り、
コーヒーを淹れる(もうカフェインやめちゃおうかな、と撤退を検討中)
など多岐にわたる。
趣味か仕事か?のような問いはすでにナンセンスであり、
趣味も仕事もクロスオーバーし、お互いに関係しあう。
私生活と仕事、という分け方もナンセンスであり、
1日の時間を分断したりするのも、てんでナンセンスである。
仕事、趣味、暮らし、これらはすべて地続きでまざりあっていて不可分なものである。
だけど、仕事が忙しくて趣味なんて持てないという人も多い。
仕事より面白い趣味が見つからない。
多分、それは真理である。
最高に面白い趣味が仕事なのだ。
だから仕事が大好きでもかまわないし、仕事にすべてを捧げている時間なのだろう。
なにかの事情で強制労働されている人もいると思うから、全員が楽しいとは限らないが、
多くは「楽しいから」仕事しているのである。
おそらく仕事の楽しさを超える趣味は無い。
趣味の最高形態が仕事ともいえるかもしれない。
仕事がつまらないとしたら、趣味から再スタートしよう。
仕事には出会いもある
仕事が面白い理由の一つに、
強制的にいろんな人と関わって、出会いがあるからである。
友達ができる可能性がある。
だから楽しいという側面もある。
仕事で充実して、出会いもあって
且つ、仕事が趣味の上位である理由は「お金も稼げる」ということである。
趣味はスタート時点では、お金を払う側だからである。
でも、払うのもたのしい。
払うからこそ、楽しめる。
でもそれは、ある程度お金がないと出来ないので、
仕事は、充実しながらお金ももらえるのでいいのである。
そうしたら、なぜ趣味を持つ必要があるのか?
仕事は無くなるときがある。
趣味を持つべき、とか必要がある、とは言わないけど、
あったらいいと思うよ、というものである。
その理由は、仕事だけだと、仕事を切られた時に何にも無くなってしまうからである。
仕事の関係しか無かったら、なんらかの理由でその仕事を続けられなくなった時に、
友達がいなくなってしまうのである。
充実したやることと、仲良しの仲間を同時に失ったら
立ち直るのには、幾分か時間がかかるだろう。
趣味はやめさせられることはない。自分に決定権がある。
「君は今日、ここでこの趣味から降りてくれ。」とは言われない。
趣味は自発的だから、自分に決定権がある。自由である。
発注されたり雇われたりする仕事とはちょっと違うのである。
また趣味があれば、同じ趣味の人と会いたくなる。
人間は人とふれあい、関わりあうことが大事である。
趣味に限らず、一人の時間とみんなの時間、両方をほしがるわがままな存在なのである。
自分の中の、わがままとさびしさを認め、自分から動き出し、
趣味の友達を探しにいくのが楽しく生きるコツだと思うのである。