プロデュースはお節介

春は菜の花の天ぷらでも食べて落ち着こう。

優れたクリエイションに興奮する

後から顔から火が出るほど恥ずかしい思いに苛まれる時がある。それは面白い人に出会った、面白いイベントを見た、作品に出会った時に、興奮してクリエイター本人に、こーしたらどうか、あーしたらどうか、あの人と組んだらどうか、こういうやり方のがいいのではないか、と言う可能性を頼まれてもいないのに捲し立ててしまった時である。家に帰って寝る時にベッドで恥ずかしくてキャ〜と大きな声を出してしまうほどだ。

おそらく余計なお世話だろう

多くのクリエイターにとって本当に余計なお世話だろう。言われなくてもわかってるよ、みたいなこともあるだろうと思うし、この人は上から何を言ってるんだ、と思うだろう。全くその通りである。これは「あなたにぴったりのいい人がいるのよ!お見合いしてみない?」と行ってお見合い相手をセッティングするお節介な人なのだ。私はそのお節介を仕事にして繰り返してきたんだと思った。

プロデュースとは時に暴力的なものである

プロデューサーである私の中に、そのクリエイターやクリエイションを活用した一連のイメージが浮かんでしまう。それを実現したくてたまらなくなってしまう。それがプロデュースと言う仕事の根源的エネルギーだと思う。

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