ブログのカテゴリに現れる人生観

自分のブログのカテゴリを定期的に見直している。

SEOを意識(?)しての事だったのだけれど、

雑記ブログ、エッセイの場合ほとんど関係ないだろうとも思う。

「自分の心」って検索しないですからね。

検索ロボットにとってわかりやすくしても、しょうが無いな〜と。

だから、このブログはどういう考え方の記事を多く書いているか、

読者の人間の皆さんに向けて、わかりやすい構造の方がいいと思ったのです。

自分でもわからなかったけど、対比の構造がある

何事もよくわからない状態の時に、モデルがあるとわかりやすい。

たくさんのランダムな数値も、マトリクスをいくつも試すことでどこかで正規分布する軸を見つけられる時がくる。

毎日ブログを書くことの最大の利点はすくなくとも365回、考える機会を持つことである。

自分の考えを365回は形にしているので、自然とどういう偏りがあるか見えてくる。

また自分が何に注力してきたのか、が浮き彫りになる。

なのでその人生そのものの痕跡というブログの二軸を、

どうとればいいのか?

それをかんがえてみた結果

・個人とみんな

・自然と人間社会

この二つの対比である。

自分の心を見つめる

すべての問題は自分のパラダイムにある。

それはわかっていても、なかなか解決できないものです。

今、目の前におきてる現象ではなく、過去の出来事とその時の痛みを通じて、

現実を見ているからです。

今、あなた不機嫌になった理由は、目の前の出来事では無く、過去の出来事で傷ついた自分だからです。

そのパラダイムを持っている限り、イライラする人生から離れることはできない。

ということは、もちろんわかっているんだけど〜、

人間そんなに成長できないものです。

日々、自分の気持ちを見つめて、過去に棚上げしてきた問題と向き合って

すこしずつ挑戦し、生きていきましょう!

どんなに不幸でもイライラしても、淡々と今日できることをやる、

ということが大切です。

自然・大いなる知恵の力を借りる

自然は人間の範疇を大きく超えているし、人間もまた自然の一部である。

それなので、より大きな知恵の力を、

自然や、言葉、歴史から学ぶことが大事だと思っている。

それなりに分量をとってこのカテゴリの記事を書いている。

自分の内面を見つめることと同じくらい、

自然の原理原則を把握して感じることは大切だな〜と痛感する日々である。

カルチャー・クリエイティブ・仕事で貢献する

人間社会における自分の最大の貢献は、やはり創作であり仕事である。

複数の人間が共にくらす社会の中で、

自分の存在理由を感じられて、お互い相補的な関係で幸せを感じられる。

仕事とは貢献の事で、

それが生きがいである、というのは至極当然のことだと思う。

金銭が伴うかどうかは関係なく、

他者や社会への貢献や仕事がない人生は、つまらないだろうとつくづく思うのである。

仲間・家族・居場所、社会の中で生きる

仲間や家族、人間関係と社会があるから、私たちは人間として生きていける。

そうなんだけれど、

そこに衝突があり、

完全な他者との融合が難しい事に、

人間の不幸があるわけで、

どこまでいっても、みんなとの一体感と同時に孤独感を感じるのが人間というものなんだろう。

10代の思春期の課題は、実は人間は孤独であった、という気づきを得られるかどうかである。

だれかのために生きている訳ではなく、

自分で選んで自分で生きていかないといけないという気づきである。

40代の二度目の思春期、思秋期はその孤独の再発見として対比するんだと私も気づいた。

わかっていたけれど、あらためて人間は孤独に生まれて孤独に死んでいくのである。

その中で、精一杯、どんなことに打ち込んで生きていくのか。

またそれでも自分がそこに存在しているということは、

大きな祖先からの流れを受けての奇跡である、というつながり感も感じるのが、

40代の孤独の再発見である、と思うのである。