集中が主流だからこそ分散に挑戦する

集中か分散か。都市の発展でも、CPUの進化、戸建てからタワマンまで、基本的に集中させた方が経済効率が増す。なので、より一箇所に集中させられないか、という方向で時代は動いていると思う。

集中している場所は便利である。高速で目まぐるしく、進歩が早い。刺激もある。

集中する、という流れは個人でどうこうできる訳でもなく時代の要請として全員が影響を受けていて、また大きな都市の中心に近いほどその引力をより強く受けるだろうと思う。

どのみち抗えないのであれば、集中することのメリットは享受しつつ、逆張りの「分散」を個人的に試みるのである。

複数社からの報酬に切り替える「独立、フリーランス、業務委託という分散」

給与のように固定でフィーをもらう仕事は独立当初、嬉しい。(しかし、慣れてくると手放しには喜べない。あくまで最初である。)

勤めている会社1社からの報酬に生活費の全てを賭けていた訳だから、それがフリーランスで複数からもらえるような形にしたら、だいぶ分散である。

さらに発展させ、業種、業界を超えた企業のお客さんに提供する、個人のお客さん向けの商品も作る、とお客さんも分散させる。

レギュラーでの契約で社員のような自分の労働を売る仕事から、単発でシンプルなサービスの提供により価値を感じてもらえるようなプロダクトに洗練させていくのが一つの目標である。これも分散である。

書く、段取りする、話す、撮る、編集する「提供サービスの分散」

勤め人時代は、そんなにあれこれ自分の業務が複数にわたることは少ない。

しかし、独立するとなんでもありになるので、提供サービスもあれこれ考えることになる。

というよりは、何が買ってもらえるかわからないので、あれこれ試行錯誤した結果、増えていく。

勤め人時代は、企画を考えて資料を作り、段取りするのが仕事だったが、投資集めに営業もするし、人が足りなければイベントの司会もするし、カメラマンの代わりにスチールもムービーも撮る、そのまま映像編集もするし、SNSの運用まで自分ができそうなことはなんでもやる。

そして、それらがこなれてくると、個別でも売れるかもしれない、というか「ここだけ頼めませんか」と聞かれるようにもなる。

提供サービスが分散した方が、買ってくれるお客さんのバリエーションも増えるし、自分も飽きないし成長し、トータルでのクリエイティブ知見が上がる。

「何屋じゃい状態」というもので、重要な過程である。

リアルとオンライン、東京とその他、日本と海外「場所の分散」

自分の行動範囲、およびお客さんの居場所ということで、ここも意図的に分散させる方向で考えたい。

リアルのお客さんばかりであれば、オンラインを検討しよう。

東京ばかりなら、大阪名古屋福岡仙台などそのほかの大都市にも目を向けたい。

そして日本国内だけでなく、海外の都市にも提供できるサービスができないか考えていきたい。

住む場所を追われた時に

能登大震災の壊滅的な珠洲の映像を見て本当に心が痛みます。

去年歩いたあの街並みが大変なことになって、

あそこにいて働いていた人たちが苦しんしでいるという事実に本当に胸が苦しくなる。

珠洲のためにできることを、この後すこしでもしたいと思う。

しかし、ライフラインが壊滅した状態のあの土地で大勢の人が、今まで通り暮らし続けるインフラを復旧する投資を日本政府は動いてくれないということがわかった。

日本の隅々まで行き届いたインフラは戦後から高度経済成長のバブルの中で作られたものであり、今後そんなことは難しいということを予感した。

そうした時に(土地に縛られる法律が生まれないのであれば)移動できる強さを持つ必要もある、と感じた。

平時でも移転はきつい。さらに被災後にそこを離れることはもっと辛いことだろう。

ふるさとを追われても、強く生きていくような分散的な心の拠点も必要だと思った。