無印良品の人気商品「パイン材ユニットシェルフ・86cm幅・小」を2台買ったのである。
まず1台買った。そして試した上でよかったのでもう1台買い足した。2台並べて使っている。
しかし実は二台買わなくてもよいのである。ユニットシェルフという名前の通りパーツだけ買って、いくつも連結して使うことが出来るのである。
棚板と脚を買い足せば二台分の長さに出来ることは知っていた。
しかしあえて、棚としてもう一台買ってみたのである。
バラバラで機能しないと別れた時に困る
あたらしく買った棚をB棚くんと呼んでみる。
B棚くんは文字通り「自立しない」のである。
片側の脚1本と、棚が3枚だけ。これじゃ自立しないで当然である。元々自立しているA棚くんと片足を共有しているので、A棚くんに依存している訳である。
A棚くんがいないと棚として機能しないわけである。B棚くんはA棚くんとそれだけの理由で別れられないのである。たとえ方向性が変わって別れたいと思っても・・・。
A棚くんとB棚くんは、端から見てセットで考えれば環境に最適化していると評価できる。それどころかむしろ環境に最適化「しすぎている」訳である。
脚が1本を共有することで、幅が狭くなり、棚板と棚板の隙間がなくなるのでつながって1つの棚として使いやすいのである。それはそれですばらしい使い勝手である。
でも引っ越したりして、この2台分の幅が確保出来なかったら、B棚くんは自立できないからお払い箱である。
それではB棚くんがかわいそうだし、資源(リソース)の無駄使いだろう。
パートナーシップに環境適応しすぎてはいけない。
たとえば、
営業は先輩に任せて私はサービス提供に専念出来る、
経理は妻がしっかりやってくれているから私は営業に専念できる、
営業が得意だから飛び回って仕事をあつめてあとは相棒のデザイナーに作ってもらう、
私は金庫番だからお金のことは任せて、夫には外で稼いでもらう、
形は違えどこのような発言は結構よく耳にする、または口にしているのではないでしょうか。
しかし、いつまでそのパートナーシップが維持できるかわからない。パートナーがいないと成立しない形態はリスクである。
もっと極端にいえば家を守るのは妻の仕事、外に出て金を稼ぐのが夫の仕事、なんていうのはリスクとしか形容しがたい訳である。
最低限必要なプロセス全体を自分一人で出来ることが自立
多少出来ること、やってることが重複してでも、お互いが自立できるように一連の機能を持つべきなのである。
営業して、サービスを提供して、対価をいただいて、経理して納税して、投資してまた次の営業、仕事に備えて、そして暮らしていく。
そんな事が一人でできなければならない。
一人でも出来る人が助け合って二人でやれば、すごく心強い。
一人でも出来る人がみんなで集まってやれば、自立した効果的なプロジェクトが可能である。
なので問いかけてみよう。
自分はコミュニティやパートナーにおんぶにだっこではないか?依存していないか?
または逆もある。社長にはよくあることだが、
パートナーやスタッフを過度に自分に依存させていないか?
相手の自立を阻害していないか?
時々立ち止まって考えてみよう。