疑似家族をどこに求めたらいいのか

核家族という言葉も最近つかわれない?

それくらい夫婦と子、核家族で当たり前である。

それどころか単身世帯は年々増加傾向。平均の世帯人数が2を割る、と言われている。

家や家族というものは崩壊しつつある訳である。

家や一族は、財産や歴史をつないでいくための社会基盤であったが

戦後から高度経済成長からそしてバブルへと日本経済は発展していく中で、

そのかわりを会社が担ってきた。

戦後からバブルの時代まで会社が疑似家族

働く父親にとっての活躍、安らぎの場所は会社であった。

会社が疑似家族であり、その群れの中で自己実現していくことは

わかりやすく、競争もあり刺激的で面白かったものであろうと思う。

一つの会社に勤め上げることもできたのは幸せだったろう。

複数の家族を渡り歩く人は少なかった、同じように複数の会社を渡りあるくことは少なかったのも頷ける。

個人の自立、というものが日本でも当たり前になっていく中で、

同時に男女の雇用機会も少しずつ改善されていく中で、

会社家族は解体されていき、また核家族から単身世帯へと解体されていく。

転職も離婚も当然の選択肢となる。

家族が消滅しても、会社が消滅しても、人間には家族的な機能は必要

家族がどんどんと消滅しても、

家族的機能、暮らしを支え合い、人間的つながり、安心して癒やしあう、所属する群れは必要である。

一人では生きられないからである。

一人社長・フリーランスになって、

コロナ禍を経て、

オフラインで完結する仕事のスタイルも確立し、

一人で自由に働いて生きていくという理想を目指してきた。

そして、なんとか実現することができた。

しかしだからこそ、

「一人ではつまらないものだな」と思う。

もちろん、それはタイプによる。

私はチームワーク優位な性格だから、今、このスタイルに物足りなさを感じるのである。

個人とみんな、そのバランスが大切である、と私は思っている。

みんなで仕事、をどう確保するか

一人が寂しいから従業員を雇うと失敗する訳である。

会社や事業というのは、目的を合理的に遂行する手段である。

だから、友達と癒やしあうためには存在してないのである。

無理、無駄、ムラが出る原因になる。

なので、フリーランスや小規模事業者を連携させて、プロジェクトを組成してみんなの仕事をつくっていこうと思っている。

目的をもった事業、プロジェクトでのチームはそういった形で実現している。

みんなで暮らす、をどう確保するか

疑似家族的役割をどこに求めるか、それがサードプレイスとよばれているんだろうと思う。

地域コミュニティ、

趣味のコミュニティ、

なにか共通のものをもったコミュニティ、

いくつも小規模なコミュニティが形成されて

そこで疑似家族のぬくもりをもらって、励まし合い

明日への活力としていくのである。

私のやっているこのブログも、YouTubeもそんなサードプレイスでありたいと思っているのである。

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