自分の人生の主人公になる

自分は自分の人生の主人公だろうか?

と不安に思ってしまう人は多いだろう。それをいくつかの角度から検討していきたい。

あなたの人生ドラマを撮影し見ているのは誰か?

誰が撮影し、見ているのでしょうか。

年齢にもよるけれど、視聴時間が一番長いのはあなたでしょう。

ただし1人称形式のドラマで主人公の目線で進むドラマであり、主人公であるあなたは、あまり画面には出てこない。

あなたが8歳児でこのブログを読んでいたら、もしかしたらドラマを見ているのはあなたの親の方が長いかもしれない。それから、親友や古い友人、師匠や先輩、同僚、そんな人たちも比較的長くあなたのドラマを撮影し、見ている。

生き生きと活躍するあなたに、ワクワクしたいそんな心優しい視聴者たちだろう。

あなたの人生ドラマのキャスティング権は?

心優しい視聴者・撮影者・キャストばかりではない。

もちろんあなたを妬み、足を引っ張ろうとする悪役たちもあなたのドラマをみて引き摺り下ろすチャンスを伺っている。悪役というのはそういう役回りだから仕方ないのである。また、悪役がいないと事件が起きないのでドラマの緩急がなくなってしまう。

悪役に限らず、ライバルや敵対する相手などもドラマを盛り上げる要素としてあなたの前に立ち塞がるかもしれない。彼らも出演者であり、あなたのドラマの撮影者であり、視聴者である。

これらのキャスト・出演者を誰が決めているのだろう?

一つは偶然である。たまたまの環境の中での出会いである。

もう一つはキャスティングである。キャスティング担当がこのドラマの出演者として相応しい人物を探してきてキャスティングしている。

キャストによってドラマの良し悪しは大きく変わる。監督もキャスティング権を持っている。偶然きたキャストが合わないなら入れ替えていいのである。

キャスティング権を正しくきちんと発動させてますか?

あなたのドラマを編集しているのは誰か?

あなたのドラマは基本的にはドキュメンタリーフィルムである。

あまり過度な脚色演出は好ましくない。登場人物たちと織りなす出来事を淡々と撮影していく。

その撮影素材から、どういった意味づけをしてドラマを組み立てるのか、それが編集者・エディターの仕事である。

毎朝なのか毎晩なのかわからないが、出来事を頭の中で思い浮かべてどうだったか、これまでどうだったのか、それを意味づけていく。自分ってこうだった、今日のことはこうだった、自分の人生ってこうだった、ということを自分で並べ替えてテロップをつけていくと、

最近何となく喜劇、悲劇、ホラー、サスペンス、ラブロマンス、成功物語、

とエピソードにタグ付けしている。

あなたが撮影された別の素材が、誰かのカメラに存在している。

そこで全く違うタグ付けがされていることも同時に起きている。自分では、ラブロマンスのタグをつけていたけど、同じシーンが誰かのフィルムでは、ホラーシーンとしてタグ付けされているかもしれない。まあそれはそれで仕方のないことである。

あなたのドラマの監督・脚本家は誰か?

撮影に臨む前に、どういったフィルムを撮りたいのか事前に考えることはできる。

また主人公への演技指導、または事前のアドバイスなどをしてフィルムをある程度方向づけたい時もあるだろう。

また前日のフィルムを撮影し編集した結果、次の展開はこうするのが面白いのではないか、この展開は悪そうだから回避しよう、などを考え方向転換するチャンスがあるのだ。

それは監督と脚本家の仕事である。

本番が始まって仕舞えば、指導はしにくい。カメラのRECが押されてない時に演出を考えおくことが、面白いドラマをつくことにおいて大事であるし、

たとえカメラが回っていても、割って入って演技指導したり、時にカメラを止めたりして、ドラマと出演者を守るために、臨機応変に動き回るのが監督の仕事でもある。

あなたは人生ドラマの監督脚本、キャスティング担当、主人公、エディターであることは自明のこと

ここまで書いてきたのは、あなたが主人公であることは自明のことでもともと主人公なのだ、ということを伝えたかったからである。だから、自分の人生の主人公になる方法は存在しない。

おそらく問いの立て方が間違っていて、私たちが気にしているのは、

「私の人生ドラマは面白いかどうか?」である。

面白いドラマを作る方法は、監督脚本が頑張って、面白くなりそうなことを先に考えることが大事だし、主人公が生き生きと素晴らしい行動をすることが大事。脇を固める登場人物が魅力的である必要ももちろんある。

そしてそれらを、こんな意味があったんだ!と撮り溜めた映像から素敵な流れに繋ぎかえて意味を持たせていくエディターの手腕である。

そして監督は自分が目指す「面白いって何だろう」と自問することである。

他人が面白いと思うこと、他人のドラマの中で輝くことを目指しているとズレてくる。

面白いは千差万別である。自分が面白いと思えるドラマを作るべきなのである。

何を面白いと思うか、監督である自分、一番の長時間視聴者である自分によく問いかける必要がある。

同じような角度でもう一つ言えることは、自分は誰かのドラマの登場人物でもあるが故に、誰かのカメラの中で、誰かのドラマの中で輝くことばかり考えてしまうことである。

親のドラマの中で、出来のいい子役を演じきりたい、

恋人のドラマの中で、素敵なパートナーを演じきりたい、

師匠のドラマの中で、優秀な弟子を演じきりたい、

と誰かのドラマの演出を気にしすぎると、自分のドラマの演出が疎かになる。

そして、どこまで行っても他人の人生の主人公にはなれないのである。

同時に、依存心の高い人は自分の人生の主人公に他人を置いてしまう人もいる。

自分の子どもでも恋人でも何でも他人を、自分の人生のドラマの主人公にしようとしたら、他人もあなたもかわいそうであろう。

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