正解、おすすめ、最強とかで検索することを封印する

今日の悩みの発端は、ブログやYouTubeの発信において「特化型」か「雑記型」かという命題があるのである。それのどちらが正解か、と思うのである。

SEO的に何が有効なのか、どっちが儲かるか、どっちが早くか成長するか、などそういった観点から、

また自分が続けられるか、人が読んでくれるか、などそんな観点からもたくさんの議論がある。自分ももちろんそれに悩んでいて、いろんなYouTubeを見たり、ブログを読んで参考にしている。

しかし、答えは出ない。

誰にでも分かりやすいものは、私たちを騙そうとしていることである

高校時代の現代国語の恩師は、私の人生に多大な影響を及ぼしてくれたが榧場先生曰く

「分かりやすいものは危険である」

つまり、早急に分かりやすい正解を求めることは、危険であるということである。

世の中、分かりやすいものが正義で正解だと思われているが、それは楽であり、嘘であり、洗脳が容易だからである。

たくさんの人間が生きている社会でそれぞれに思惑や歴史的背景がある中で、何かシンプルなものが存在するわけがない、ということである。

複雑で紐解けないもの、が自然であり、それをゆっくり紐解きながら、わかるようなわからないようなことで、じっくり時間をかけて個としても全としても、理解していくようなそういった時間軸が必要であると。

学校に遅刻することを叱る、ということが正しいか、ということについて1時間くらい話す先生だったので、世の中にシンプルなものは無い、と身に沁みて思ったのである。

立場によって、これまでの歴史によって、捉え方、何を求めているか、は変わるからである。

発信における雑記か特化かの正解はない

最大限に抽象化したレベルで、雑記ブログと特化ブログのどちらが正解かの答えはもちろんない。

もう少し、具体に見ていっても、雑記ブログは続けるのが容易であり、続けることの大切さが発信にはある。一方独りよがりになりがちである。

特化型は読者を意識している。しかし、読者とマーケティングと収益のためだけにブログを続けることが自分のやりたいことだったのか、という問いにもぶつかる。

もし収益を効率的に得るだけなら、ブログなどの発信じゃなくてもいいかもしれない。

そう思うと、中道的に両方をとる、がいいのか特化型をビジネスとして人にやってもらって、とかいろんな選択肢が生まれる。それを考えながら、自分がいったい、発信を通じてどうしたいのか、を見つめるきっかけになる。

自分なりにしっくりくる言葉、概念、軸を探す旅そのものに意味がある

同じような言葉でも、自分の言葉かどうか、自分から出た言葉か、自分がしっくりくる言葉かどうか、で腹落ち感が自分にも他人にも全然違うものである。

雑記か特化か、の議論は私には全くあってなく、雑記という言葉を普段使ってないし。特化についてもWEB制作や宣伝のエキスパートではあるけれど、それについてブログが書きたいのか、と言われるとそれだけを書きたいわけでもない。

それで悶々と3ヶ月くらい考え続けていたのだけれど、ちょっとたどり着いた。

実用とエンターテイメントという対立項

特化と雑記に近い概念で、他人からするとほぼ同じと思うかもしれないが、自分の中の言葉のしっくりさというのはそういうものかもしれない。

でも自分にとっては、特化と雑記はしっくりこないけれど、実用コンテンツなのか、エンタメコンテンツなのか、というのは肉を伴った概念だったのである。

実用としてブログやYouTube発信をメインとしているのか、エンターテイメントとして発信しているのか、または実用エンターテイメントというジャンルもある。

その対立軸の中で自分のコンテンツを決めていく、というのはイメージがしやすかった。

この対立項、マトリクスを持つことで、自分の発信のバランスや新しいアイデアが思い浮かぶようになる。

これは私にとっての一例ですが、皆さんも誰かに教わった言葉や軸がしっくりこない時に、行動、熟考することで自分なりの言葉と概念に置き換えることができると、分かりやすい、という罠にハマらずにスッキリする瞬間を味わえると思います。