秋、寒露、メランコリー、日々に対する漠然とした不安

10月8日(日)は寒露、二十四節気の17番目。

山や野の草花に冷たい露が降りる季節。朝晩は冷えてくる。

しかし夏が長い現代において夏の疲れを癒す前に急に寒くなってしまう。

10月21日〜11月7日が秋土用。一番養生が必要で心身の調子を崩しやすいシーズンだが、それを待たずしてもうみんな風邪引いてますね。ご自愛ください。

夏の陽から陰へスムーズにスイッチできない

季節の変わり目は大きく4回あるわけですが、中でも夏から秋への切り替えが難しいと思います。

日差しが燦々と降り注ぐ陽のパワーから、夕暮れの寂しさのような陰のパワーへと切り替わっていくからである。なんとなく憂鬱な気持ち、寂しい気持ち、生命の輝きが去っていくようなそんな気持ち。

日々に対する漠然とした不安、このままでいいんだろうか

秋から冬にかけて生命の終わり、死を感じる。春になると再生・誕生をまた感じるのだけれど、それは秋冬の土中に潜るようなそういう大切な期間があってこその春である。

秋に寂しさを感じ、メランコリーな気持ちになるのはある意味人間の準備である。

まあ確かに、このままではダメな人もいるのかもしれない。そんな人は新しいことを準備したらいいだろう。そういう準備にうってつけなのが秋冬である。春に向け、土の中で育てていくのである。

ただ、そればっかりじゃないだろう。

実際の日々や仕事と関係なく、季節に流されてメランコリーである場合も多かろう。

実りの秋を楽しむ=ばか騒ぎを楽しむ

例大祭や各地の祭り、伝統行事、どう考えてもばかばかしく荒々しいものがたくさんある。しかしこれらも今年の実りに感謝して五穀豊穣を祈る大切なお祭りである。

でもそれだけじゃないのかなと。

きっと大昔から秋冬になると、人々はメランコリーな気持ちを抱えていたのではないかと思う。その対処法の一つに、集まってばか騒ぎする、というのが大事だったのではないかと思う。

そしてクタクタになってくたびれて眠ったらメランコリーなことも忘れて、すんなり秋冬の暮らしに馴染んでいったのではないかと思う。

ハロウィーンで若者が渋谷に行列してただ徘徊するのは、自分たちの青春を注ぎ込むばか騒ぎの祭りを失ってしまったからだろうと思う。

手を動かし、体を動かし、自分の声を聞く

現代人はついつい頭でっかりになりがちである。つまり思考に傾倒しがち。感情の取り扱いも苦手。

さらには、手先を動かすこともなく、体を動かすようなこともない。内臓の声を聞くことなどない。

そういう身体性を活用することで、メランコリーを乗り切れるとも思う。

腸内フローラにおける菌の状態で、人間が幸せや不幸を感じたりする脳腸相関はもはや当たり前の考え方となった。暴飲暴食でメランコリーになることはありうるのである。あなたがイライラするのは腸内環境のせいかもしれないのだ。少なくとも相関関係がある。

瞑想して心を穏やかにすることもおすすめですが、ハードルが高い。

まずは、手先を動かすことに集中するのがいい。私はノートにひたすら何か書く、という瞑想をするが、それがイラストでもいいし、縫い物でもいいし、切り絵でも、木細工でもなんでもいいけれど、デスクワーク中心の皆さんは手を動かすことを忘れてしまっている。

それから、走ったり、泳いだり、体を思い切り動かすことである。昨今は夏が暑すぎて逆に運動できない季節になっている。一年中慢性的な運動不足になっていることが多い。

あなたのメランコリーは、発散されなかった自分の身体エネルギーからきているかもしれない。涼しい今、気持ちよく汗を流すのがおすすめである。サウナや温泉ではダメで、運動して汗をかく必要があるのである。

そして、頭で考えるでもなく、胸の感情にきくだけでもなく、全身の自分自身で秋を受け止め、メランコリーを克服していくのである。

編集後記

ブログ、というかある程度まとまった文章を、毎日書けば書くほど、自分を縛る思い込み、を自覚してちょっとずつ自由になることができる。というのは全然知らなかった副産物である。

a new thing a day

小学校は秋休み。そしてはじめてきましたスパリゾートハワイアンズ!