今日は4月4日、春も進んでいきます。清明(せいめい)二十四節気5番目、清く輝く、力に満ちた季節です。
清らかに明るく過ごせたら、どれだけ素晴らしい人生か、と思いますよね。
でも明るい人って、ニコニコしてればいいという訳じゃないんです。
明るい=笑顔、ではない。笑顔でも暗い人はいる。
いつも笑顔だけど、背中が暗く寂しい人っているでしょう。
それは他人に合わせ続けている人です。
決して明るい人ではない。
そんな人の笑顔はどこか張り付いて、引きつって、仮面のような笑いでしょう。
こころから笑えていないのです。
また、明るいというのが笑顔という意味でもありません。
笑顔がなくても明るい人はありえます。
ただし、明るい人は結果として笑顔でいることが多いかもしれません。
明るいとは、明らかであること
明らかでない人、それは気持ちを隠す人である。
気持ちを隠す、とは本当の自分を隠すことである。
多くの場合、それは恐怖からくる。本当の気持ちを出したら、感情を出したら嫌われてしまうかもしれない、だれもいなくなってしまうかもしれない、目の前の人がいなくなるかもしれない、
という恐れである。
だからそれを覆い隠して、他人に合わせて笑顔でいる人が明らかでない人、明るくない人である。
その逆が、明るい人、あきらかな人である。
自分の気持ちをそのままに出せる、自分の感情をあきらかにすることを恐れない、それによって相手がどう思うかを手放すことができる人である。
明るい人は結局は嫌われない
嫌われる勇気を持っている人は、結局は嫌われない、という逆説がある。
たとえ嫌われたとしても、その時はその時である、と覚悟を持っている人である。
だから、ビクビクなにかにおびえる必要も無く、
結果としてリラックスしていて、自然な笑顔を出せる人である。
嫌われる勇気を持てない人は、常におびえることになるので自分も相手を信頼することが出来ないし、信頼されるこもないのである。
清らかで聖人君子である必要も無い
あきらかであることに、清く正しい人物であることとは直接は関係ない。
誰しもわがままな面を持っていたり、ネガティブな感情を持つこともあるし、後悔する過去もたくさんあるのである。
それでも「それが自分である」と開きなおって、時に衝突を恐れず、嫌われることを恐れず、
あきらかな明るい自分で人に接することが大事なのである。