努力ができないんです、と相談されることがよくあります。
あれこれアドバイスすることもありますが、あくまでケースバイケースであり、その場だけの対処療法なのでそこでは効果がありますが根本治療にはなりません。
なぜ私たちは努力ができないのでしょうか。
努力ができない理由は「努力をしたくないから」
毎日、早く起きたい、マラソンに出たい、仕事を早く終わらせたい、
そのために努力して早く寝る、筋トレをする、タスクを整理する、それらを努力してなんとかやろうと思うけれど、できません。そして自己嫌悪に陥ります。そんなこともしばしばでしょう。
しかし、結実の実を楽しみたい、早く起きれた、マラソンに出た、仕事が早く終わった、という達成感を味わいたいとは思うものの、そのプロセスは興味ないわけです。
もっと端的に言えば、「やりたくない」わけです。早く起きたくもなければ、マラソンにも出たくないし、仕事を早く終わらせたくないわけです。
そんなことのために、自分が何かを頑張る、というのは無理なわけです。
努力という言葉は、曲解すれば「やりたくないことを無理してやる」ことである。
やりたくないこと、できませんよ人間だもの。
なぜやりたくないことを、無理してやっているんですか。
そこを疑いましょう。
また同時に、努力とは「誰かが誰かにやりたくないことをやらせる」という使役の意味を含んでいるんだと思います。社長は社員に努力させるわけです。私のために頑張ってくれたまえ、と。
実った果実しかイメージが及ばない
マラソンの楽しさは、フルマラソンに出た達成感ではなく、そこに至るプロセスの中で心身が健康になることである。フルマラソンの大会当日はあくまでそれを確認する機会である。
もちろん、収穫、実りの秋としてお祭りの楽しさもあります。
しかし、これもその日だけ頑張ってもつまらない。それまでの鍛錬のプロセス、訓練、経験が収穫だからです。
誰かを好きになろうと努力しても、できない
努力という言葉が用いられる機会に、人間関係もあると思います。
仕事の人間関係、友人、はたまた家族、親子、それぞれ他人同士。
気の合わない人もいるでしょう。それが親や子、配偶者なら尚更難しい問題になります。その時に、好きになろうと努力する、ということが起きます。
これもまた大きな不幸でしょう。
嫌なことを頑張ってやった先に何か幸せがあるのでしょうか。
好きになる努力など不要でしょう。また好きでなくても生活を共にしたり、何か協力して目標を達成することはできるでしょう。むしろ距離をしっかり取ることで関係が健全化することの方が多いのではないでしょうか。
ここでも、努力、つまり嫌なこと、無理なことを捻じ曲げてる力を発揮することは不要でしょう。
解決策は「努力しないで済む方法」を編み出すこと
1つ目、何か好ましい結実があり、それを欲しいのだけれどその手前のプロセスをできるだけ省きたい、努力したくない、と言うケースの場合、毎日に分解して1つ1つの課題を食べやすい大きさに小分けにすることです。
毎日に分割され、本当に小さな「腕立て伏せ1回」と言うような、一日10秒で終わるような内容にしても、それが三日続くと習慣になります。そうすると後は自動的に進むようになります。
ここに努力は必要ありません。
最初に設計すること、小さなステップにしてとにかく、今すぐ始めてみることで努力が不要になります。
2つ目、努力しようとしているけれど、本当にその結実が必要か、他の選択肢もあるのではないか、と検討しましょう。
例えば、職場の人間関係を改善する必要が本当にあるのか。そこから立ち去ることで解決するのではないか。親子だからといっていつも顔を突き合わせている必要はありません。心理的、物理的距離を取ることも大切です。
同じように、英語を話したい、年収を1500万円にしたい、持ち家を買いたい、これらも本当にそうなのか、努力して(つまりやりたくないことをして)まで手にいれたいのかどうか。
根本は、自分が本当は何をしたいのか、自分の声を聞くことが最初なのは言うまでもありません。
編集後記
毎日ブログ、メルマガ、YouTubeを更新するのは、努力では無理ですね。その過程に面白さと意味を見出せないと不可能です。
a new thing a day
ブルーマウンテンは、やはりマイルドブレンドと比べれば2.5倍くらい高いので買ったの初めてなんです!うまい、気がする。