私は医療関係者でも何でも無く、
医療関係のプロジェクトの仕事もしてないので、
バリウムについて疑問に思っても、誰かに怒られたり圧力かけられることは無いだろうと思う。
友達が腸閉塞で入院
6つ年上の友人が腸閉塞で倒れて入院。
当人曰く、とにかく痛くて、切って手術して偉い目にあったと。
しかも完治するかどうかはわからない、再発するかもと言われ
「鈴木くん、とにかくバリウムだけは金輪際飲まない方がいい。」
とアドバイスされた。
このバリウムを飲んでのレントゲン、本当に意味あるんかな?
と薄々、多くの人が感じていて、
きっと補助金とか利権の問題があるんだろうな、と受け入れていたのが大半だと思うが
身近な人が手術したのでもうきっぱりやめようと
40代になってから私も胃カメラに切り換えた。
そして、胃カメラも前回なんともなくて、体調いいなら
毎年やらなくてもいいんじゃないかな?
と思い今年はスキップさせてもらった。
そうしたら健康診断が30分でおわって大変快適であった。
みんなわかってるのに、やめられない
その一件もありバリウムによる胃レントゲンの検査について
ネットでしらべたり本を読んだりすると、
ますます「これ逆にどうして続いてんの?」とおもってしまう。
導入した機械のリースが終わらないからかもしれないし、
その技師たちをリストラする訳にいかないからかもしれないし、
補助金が出なくなるからかもしれないが、
なんとなく、これダメだな、とわかりつつ
だれもやめられないのだろう。
それって、すごいことで、恐ろしいことであると思う。
続けるのは、実は簡単?
継続は力なり、と言う言葉に代表されるように、
何かを始め、続けていくことが如何に重要か、強調されることはあるが、
人は、継続のスペシャリストであることがほとんどである。
毎日、勉強しないで寝てしまう、
お酒をやめたいけど、飲んでしまう、
という行動を、毎日継続できているじゃないですか。
うっかり、勉強してしまったりしない訳です。
勉強しないで寝るというルーティンを徹底している訳です。
楽でストレスがない行動を継続し続ける
毎日、ブログを書きYouTubeを書く
というのは、毎日と決めてしまえば
そこに葛藤というストレスを挟まないから楽で継続できるのである。
その葛藤が生まれると、たちどまって
意思、思考、そして強い意志、目標みたいなものが必要になってしまう。
そうでは無くて、
易きに流れ、楽な方、葛藤がないほうへ、
ずるずると流れていくのである。
だから、これのプロジェクトやめなきゃ、
このルーティンやめなきゃ、
このイベントやめなきゃ
っていう方が大変なのである。
だから、続ける方を自動選択する。
意味ないな、と思うけど続いているものは
大体、葛藤を避けるために継続されているのである。
葛藤と衝突を恐れずに
たぶん、葛藤を選んでいった方が、
人生に自分を明け渡している証拠なんだと思う。
苦労は買ってでもしろ、という言葉は、
楽な習慣にどっぷりとつからないで、
新しい事に挑戦していこう、という意味なんだと思うのである。