AmazonとXをやめてみた(道半ば)

大多数、メジャーによる規模の効率性というものはすさまじいものがる。

経済合理性と効率から言えば、完全な正解である。

小規模事業者は皆閉業して、

優秀な人材は大手メジャーで働いた方が、お国のためである。

経済合理性で生きることが自明であるかのように、勘違いしている人は多い。

しかし不思議で面白いのが、人間であり人生。

その合理的、経済的、という思い込み手放しましょう。それもまた幻想です。

その挑戦として、

メジャーをやめてみる、やってみませんか。

Amazonをやめてみる、まずは紙の本

私達の暮らしにもうAmazonは不可欠な存在。

水道電気ガスと同じくらいの生活インフラである、と思い込んでいる。

しかし20年前は単なる本のECサイトである。

元々無かったものである。

また未来永劫Amazonが存在している訳でもない。

そんなこともあって、新しい気づきを求めてこの春からAmazon断ちに挑戦している。

とりあえず、紙の本をAmazonで買うことは禁止している。

本屋で本を買うようにしている。

紀伊國屋オンラインで注文して紀伊國屋に取りに行っている。

または紀伊國屋店頭で本を選んでいる。

新しい本との出会い、読む本のカテゴリが一気に広がった。

偶然の気づき、つながりが生まれる。

文房具、紙製品、消耗品、ちょっとした雑貨などもやめた。

ビックカメラ、ヨドバシカメラのリアル店舗、通販を利用し

文房具なども個人クリエイターや小さいメーカーのものをよく利用するようになった。

baseやStores、Shopfyとかはすごいな、と思う。

直販サイトを利用してあげるようにしている。

メーカーもうれしいだろう。

しかしAmazonがやめられない、AWS

ところがAmazonがなかなかやめられないのである。

まずAmazonWebServiceのサーバーやめられない。

便利すぎる、また構築したシステムの移行のスイッチングコストが高すぎる。

あと5年はすくなくとも、いや10年使い続けるかもしれない。

Kindleもやめられない

つぎにKindleがやめられない。

途中まで購入してしまったコミックスの続きをどうすればいいか判断がつかない。

今から紀伊國屋電子書籍サービスにも乗り換えしにくいし。

すくなくとも過去の巻は読み続ける。

一つの解決として、はじめの一歩を例にとると

私はKindleで133巻までかったけれど、

そこで止めている。その続きからは、マガポケで毎週読んでいる。

つまりもうコミックスを買う必要はないということである。

もう一つ、集英社のジャンプコミックスのアプリが昔存在した。

そこで当時キングダムを40巻程度までそろえてしまっていた。

しかし、その後続きだけKindleに変えた。

結局、過去の巻はそんなに読み返しはしなかった。

そのままアプリは消滅したが、まあしょうが無いと諦めた。

そんなものである。このままKindleももしかしたらあきらめられるかもしれない。

しかし、自分がKindleで出版するのはやめられない。

それしか選択肢が無いからである。

Kindleはこの先も使い続けるかもしれない。

Xもやめてみた

TwitterログインのAPIを、自分のサービスで利用していたので、

管理者アカウントを削除する訳にいかなかったので利用を続けていた。

しかし、どこかでXのメジャーユーザー層とも自分が相容れないしやめたいな、と思い続けてきた。

その後、自社サービスでの利用をやめた。さらにはTwitterのAPIの有償化で、弱小ベンダーには利用できないサービスになったので利用できなくなった。(その経営判断は正しいとは思う。)

なのでもうXを利用する理由も無くなったのだが、あえて有料版に申し込んでみたり、

コミュニティ使ってみたいいろいろ挑戦しようとしたが続かなかった。

そこでアカウントは削除せず、更新だけやめることにした。

2024/10/29追記 とうとうXのアカウントは削除しました

仕掛ける側の方が何枚も上手である、と気づかねばならない。

メガプラットフォーマーに右往左往しないために

メガプラットフォーマーは、

とにかくデカい。影響力が甚大だが、あまり右往左往しても仕方ない、とも思った。

元々、ブログも古くはホームページも、

知ってる人しかたどりつけないようなものだった訳で、

リアルなコミュニケーションの延長である。

出会いやアクセスを効率化してくれるSNSプラットフォームは、

たしかに助かるのだけれども、

そのSNSのアルゴリズムのためのコンテンツを作っている訳ではない。

付和雷同しないように、

毎日のアクセスに一喜一憂しない強い意志が必要だとあらためて思ったのである。