自立至上主義が蔓延している。多くの人が「自立は大切だ」と思っている。
私も生粋の自立至上主義者であり、ずっとそう思っていた。
しかし、自立しすぎは自分を弱くするのである。
20代の自立のイメージ
10代、20代の自立のイメージは「都会で一人暮らし」「親元を離れて」「夫婦として新しい家族をつくっていく」まさに、大海原へ孤軍奮闘のイメージである。
心細かったものである。
自分を強く持って、社会を生きていくアイデンティティーをとがらせて生き残ろうと必死である。
その時の自分自身やパートナーや夫婦のイメージはまさに、
荒海に浮かぶ小さな小舟や、荒野に咲く1輪の花かもしれない。
これまで大型タンカーや護送船団で守られていたのに、単独航海の恐怖。
ずっと一緒にくらしてきた里山から風にのって離れ、知らない土地に芽吹いた小さな萌芽。
この土地に根を張れるだろうか、と不安である。
寄り添って生える樹木たち
しかし、荒野に1本だけ生える杉や松は特別な存在だ。
だからイメージに残るが、本来そんな風に木は生えない。
元々、何本か群生していたり、周りにほかの樹木があったが枯れてしまったり、洪水や津波など何か事故があっていなくなってしまったのである。
そして孤高に1本残ってしまった。
または小高い丘に1本だけ植樹した訳である。
木は風を遮ってくれるものがないと大きくならないのである。
小さいうちに枯れてしまう。または風を受けないサイズまでしか成長できない。そういう生き物なのである。
風がストレスのようなもので、ストレスに耐えられる大きさまでしか成長できないのだ。
吹きっさらしに、巨木が生まれることは無いのである。
ほかの樹木や、下草、いろんな環境に支えられ、時に同じ仲間で群生して成長していく。
風がほどよく抜ける(ほどよく緊張感・ストレスがある)森の中で、仲間と切磋琢磨して、
ほかの植物とも共存しながら、大きくなっていく。
そして自分が傘になり周りを守って、新しい命の成長を助けたりするのである。
独立して、自立しているといっても大きな環境の中の一員なのである。
40代の自立は、荒野の1本樹ではない。
一人で食べてきた、生き残ってきた、そんな自負のある人も多いだろう。
一人社長なら尚更である。
いろんなことがあったけど、一人でやってきた。
そう思ってきたけれど、きっとそうでもないのである。
「自分は自立している、一人でここまでやってきた」という過信は、
自立しすぎている人の「寂しさ」であり弱さなである。
いろんな人に助けられて、また時に助け。
「お互い様」の繰り返しでここまでやってこれたのである。
こまった時に「助けてほしい」と誰かを頼れることも、真の自立のために必要なのだ。