なぜ英語を勉強しなくてはいけないのか

写真は14年前にいったサンフランシスコ。macromediaのオフィスかな?

なぜ、英語を勉強しなくてはいけないのか?

結論は簡単である。

実用から言えばもはや英語を勉強しなくてもいいのである

勉強しなくてはいけない理由はない。

母国語である日本語をしっかり勉強して使いこなしていれば問題ない。

英語を一所懸命に勉強してきたものの、ほとんど使う機会に恵まれない人はたくさんいるだろう。

仕事の幅を広げられない、という反論もあるが、自動翻訳がこれだけ発達したらおそらく仕事の活躍の幅も、英語を勉強しなくても広げられる時代になるだろう。

進学、就職以外に英語の勉強に何の意味が

仕事の幅然り、もちろん英語を勉強する実用のメリットはたくさんある。

しかしそれ以上に、

日本の中で大学まで進学していこう、なるべく偏差値の高い大学にいき、有名な企業に就職したいと考えた場合、英語を勉強した方が有利であろう。5教科のうちの1つなのだから1つかけて高得点を取ることは不可能だからだ。

入学試験、入社試験のための英語、すごく大きいメリットだ。もちろん、英語を勉強した方がいいと思う。

しかし、その後英語を使う機会があるだろうか。自動翻訳ですまない時に、自分の英語が役立つだろうか。また日本という中で経済が完結できる、恵まれた豊かな社会で暮らしていて、それでいいじゃないか。

実用におけるメリットだけで、小学校から大学卒業まで16年も英語を勉強する理由があるだろうか。また16年学んでも大して喋れない理由はどこにあるのだろうか。

しなければならない、すべきは的外れ。全ての学びは「知りたい」「したい」から始まる

実用メリット以外で、英語を勉強したい、学びたいと思うことは重要である。

どんな行動も「したい」からするのである。英語の勉強が好きな人もいるだろう。

そういった人には、実社会での格付けアップ以外の、英語を勉強したい理由を持っているのである。

言語学習は文化へのアクセスキー

すでに英語を話す家族、友達、知人が存在している場合、その人に好意があればあるほど、コミュニケーションを深く取りたいと思う。

深くコミュニケーションをとり、相手を理解したいと思う。

そうした時に、相手がどうしてそう考えるようになったのかを知りたいと思う。

背景である。背景とは、その人の国や文化であり、文化と言葉は切っても切り離せない一つのものである。

言葉には文化と歴史が織り込まれている。

翻訳だけではわからない。その国の言葉で読み、聞く、話すことで考え方を深く知るきっかけがある。

主語を明確にする英語と比べて、主客織り混ざって、主語が判然とせずよく省略されてしまう日本語や中国語など、その歴史の中で言葉に文化が表れている。

日本語と中国語はやはりよく似ている、そんなことに気づくことも外国語を習う知的欲求のベースである。

アメリカの文化に憧れアメリカを知りたいから英語を勉強したい

アメリカがかっこいい、アメリカをもっと知りたいと素直に思えた世代は、英語を学びたいと思う人がたくさんいた時代があった。

それからアメリカもかっこいいばかりじゃない、苦悩もある、とわかってきた。

ロックといえば洋楽だったけれど、J-popが生まれて日本の音楽も悪くない、日本語の方がしっくりくると思うようになり、独自の文化が発展し、英語を一所懸命勉強して、洋楽を理解したい、と思う人も減ったのである。

英語がITのようなツールになってしまった

もう一つは、グローバル時代になり英語がイギリスやアメリカの文化というよりも、世界の多くの人とのコミュニケーションをするビジネスのツール、ITのようなもの、と捉えられるようになった。

グロービッシュは、世界の文化を反映したものではなくあくまでツールである。だからグロービッシュを勉強してもそれを使うシンガポールやインドや中国、日本、何でも全ての人たちの国や文化は見えてこない。薄めのアメリカ文化が見えてくる感じかなと思う。

またツールであればこそ、テクノロジーで代替可能なのだろうと思う。

やっぱり英語を学ぶなら、興味を持てそうな文化を探す

とはいえ、英語を学びたい、メリットを享受したい、という人が多いと思う。

しかしなかなか気が進まない、つまらない。

メリットのためだけにツールを勉強するのは無茶だからである。

やはり、英語を話す友達を作る、英語の文化の中で自分の興味あるものを探す。例えばトライアスロンはアメリカ発祥だからアメリカのトライアスロンの文献を読めるようになろう、というように。

昨年から真剣に中国語を勉強しているのだけれど、日本語に対する理解がより深まった。

日本語の背景には中国語があり、輸入してきた時代によって文字の意味が変わったことを、どう日本語に取り込むか、そういった柔軟さが、西洋の言語が日本に来た時の経験につながっている。

一方中国は、外来語をそのままカタカナのように取り込む仕組みがない、必ず中国語を作る、そういうところに、近代化の言語の違いがあったのではないか、と言われている。

そういうことも、中国語を勉強して初めて理解できた。

文化理解へのアクセスキーが言語であることは間違いがなく、言語を学ぶことは人生を文化的で豊かにしてくれることはまず間違いないのである。

編集後記

昨日は村上観光を楽しんで東京帰って参りました。帰ってきて早速動画編集。毎日動画編集。

a new thing a day

村上の様子を。

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