自分や会社の行く末を、
ビジョンを立てて、
計画をたて、それを邁進する。
その狂気的な集中力を持つ人は少ない、
というか天性の才能であり
そういう人は有名人である。
なかなか、誰にでもできることではない。
将来のビジョンとか考えてもしょうが無い(というか有害ですらある。)
将来のビジョンを考えて、
それに従って生きる、というのは
ある意味、わがままであり、
自分というエゴを守ろうとする鎧でもある。
自分で考えた会社のビジョンや
会社の計画を守りたい、というのは、
自分で世界をコントロールしたい、という欲求の現れであり、
本当は不自然な行動だと思うのである。
だから、あれこれ考えず、
自分という枠に固執せず、
時代や、仲間、大きな流れの中に身を任せ、
今、この瞬間、私は社会から、これを求められたのかもしれない、
というアンテナに敏感になり
その目の前の事に、
集中して一所懸命やる位しかやれることはないのである。
たとえ自分ではじめた会社を追い出されてしまっても
その出来事は、私達にとっての
大きな時代の要請、偉大なる何か、の導きだと思うのである。
自分自身もどこかで無理をしていたのかもしれない。
自分、ビジョン、信念、
そういったものを守ろうとしたからかもしれない。
そんな風に切り出した、自分の一部を守る必要は無い。
大きな流れの中で、
時代が、誰かが、
私達を必要としてくれているタイミングに必ず出くわす。
というか年中出くわす。
その際、
思考によって、損得勘定をあれこれ考えたりせず、
求められるままに、
一所懸命応えることが次の仕事につながり、自分もふくめてみんなの幸せにつながってるのかな、と思うのである。