恩着せがましいのは病気である

八方美人は性格ではなく病気であり精神的自立への発展の途中である、

というのを先日YouTubeでお送りしました。

たくさん再生されてありがとうございます。

みんな悩んでいたのでありましょう。

私も同じです。

今日は「恩着せがましい」について考えます。

恩着せがましい人っていると思うんです。

思い当たる節もあるでしょう。

私がまさにそうですが、身近な人に恩着せがましくしてしまうのです。

(※妖怪 恩着せがましと言っています。枕返しみたいなノリで。)

これもまた性格では無く、

病気みたいなものである、という話をお送りします。

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病気に関すること

はじめに、病気というとなんだか「大変だ!直さなくては!」ととなるけれど、

直す前に自分を見つめることが必要なのでは無いか、と思うのです。

(外からくるようなウィルスや、怪我、または遺伝による病などを別にすると)

元々自分の暮らしや生活習慣、思考の癖、

子どもの頃からのそだった環境、

現在の人間関係のストレスなどなど、

不調になる暮らしを、

自分から選択していることが往々にしてあります。

生活習慣によって、結果生じている症状が病気、という形で表現されているのではないかと思うのです。

体にいい暮らしをしていたら、

めったに風邪を引いたりしない、健康で元気である、

これもまた自然なことなのかなと。

つまり、自分を痛めつける行動をしたからその症状として体のリセット作用が働く、

それが不調であり、病気だと思うわけです。

恩着せがましい、は治せる病気

その上で考えると、

恩着せがましいのは、外から伝染してきた病気では無く、

生活習慣病だと思うのです。

自分で積み上げてきた悪い行動のつけを払ってるのが、

恩着せがましいという精神疾患であると思うわけです。

そして、これも真の自立に至るまでの、成長段階だと思うのです。

つまり経過点であり、恩着せがましいという病気は治癒可能で、

抜け出せるものだとも思うのです。

なぜ恩着せがましいとはどんな感じ?

恩着せがましい事態をイメージしてみよう。

夫が皿を洗い、ゴミをすて、掃除機をかけたとする。

それについて妻がお礼を言わないと

「どうしてこんなにしてあげたのにお礼の一言もないのか」

と怒る、これが恩着せがましい一例である。

恩着せがましい人の心理

なんでそんなことになってしまうのか?

その背景には「愛されたい」という寂しさがまずあります。

愛されてない、と自己認識している。

さらに、その愛について条件的な考え方をしています。

恩着せがましい人は

相手に奉仕すること、

何かよいものを与える事、

そして自分を犠牲にすること、

を通じて、愛されようと考えてしまうのです。

そのため、奉仕の結果、愛情表現が帰ってこないことに不満を漏らしてしまうのです。

その愛情表現を求めたくて、恩着せがましくアピールする、という行動に出てしまう訳です。

恩着せがましい人は、一生懸命やってきた頑張り屋であることが多い

恩着せがましい人、

奉仕と犠牲にさいなまれている人、

これらの人は、小さいころから親の期待にこたえて

一生懸命、頑張ろう、と考える真面目な人なのです。

そういう人が陥ってしまう、エゴの罠なのです。

ありのままを受け入れること

条件付きの愛を手放し、

そこに存在している愛に気が付き、受け入れることが

恩着せがましい病気から抜け出させる解決策です。

何にもなくても

たいして頑張って無くても、

ゴミ捨てしないで、部屋が散らかっていたって、

愛されてもいいし、愛してもいい、と開き直ることなのです。