今回は2日間だけ。物足りないちょっと寂しい冬休み。
自分ちの子どもと、その友達を呼んで単にわいわい騒いで、
なんとか宿題終わらせてそれだけである。
でもそれがスーパー楽しい。
小学3年生だと、恥ずかしい、お気持ち。
「よくわかんないんだよな」と思ってても、
上手に聞けない、言い出せないのが小学三年生でしょう。
みんなが気になる、先生が忙しい、
こんなことも分かってないのか、と言われないか?
そんなの全部あるわけ無いんだけど、
それもビクビクしちゃうのが三年生である。
低学年なら素直に「先生〜、わかりません〜」と言えるし、
高学年なら開き直って、困るのは自分なので「すみません、わかりません」と言える。
中学年が、一番恥ずかしいお年頃でしょう。
だから友達の父ちゃんなら何でも聞いてOKなのであるし、
友達同士で勉強して、聞き合う、喋り合う、それが一番面白いのである。
みんなで、わいわい、あ〜でもないこ〜でもない、っていう知的遊びの第一段階スタートである。
遊びを一緒に楽しみたい
難しい問題を一緒に解いたり、
漢字の覚え方を披露しあったり、
勉強会と言っても、単なる知的な遊びである。
その遊びを、みんなに味わってもらいたいし、
真面目な遊び人の私が、息子に、その友達に教えられる、体験させてあげられる
数少ないジャンルである。
遊び方が分からない、
何が面白いのか分からない、
生きてる意味が見つけられない、
そんなことで悩んだ時に、
「そういえば子どもの頃の勉強会で、あいつの父ちゃん仕事無さそうだったけど、古くて汚ねー事務所で楽しそうにしてたな」と肩の力が抜ける材料になってほしいと思っているのです。
楽しいことを見つけられない大人
消費社会になれすぎていると、
「楽しいことは消費の中にある」「提供される」と、
勘違いしてしまうのである。
「苦労と挑戦」の中にしか、
「自分から作り出す・見つけ出す」中にしか、
楽しさは見いだせないのである。
知的な遊びに真剣に取り組んでいるプロセスの中で、
わたし達は楽しいを体験することが出来るのである。
買えないし、目で見るものでもないのである。