ガートルード・スタインというアメリカの詩人の言葉だそうである。ジュリア・キャメロンの「いくつになってもやりたかったことをやりなさい」に紹介されていた一文である。
私もずっとこの感覚を何というのか探していたので、ほんと言い得て妙である、と関心したのである。
ということで拝借させていただいて、ちょこちょこ使っていきたいと思っている。
私も少年、息子も少年
しゃべりまくる息子の話を聞いていて、
「私も9才か10才の時からこんなことを考えまくってたな〜」と思い出す。
というよりも、そこである程度完成してしまって
変わってないかも?と思い至る。
息子の人格形成ももう追いつきつつあり、
親子で同じような感覚で話していると思うのである。
もちろん、稚拙であったり、視野が狭かったり、そんなことは当たり前なんだけど
そういうことじゃ無く、
わたし達だって、裸になれば精神年齢もずっと少年くらいのままである。
その後の人生の苦労で、
小手先のテクニックが上手になったかもしれないけれど、
装飾を全部はがしてしまえば、
わがままでとっちらかって大笑いする9才児とかわらないということである。
そう思うと、奥さんも少女なのかと思う。たしかに、少女時代からあんな感じだったのだろう。
師匠も少年?うむ、たしかに少年であろう笑
まあくんも少年だろう。少年時代から才児であり、大人顔負けの知的な男だったので、今でも変わらず大人びた少年であろう。
何を始めるのにも年齢は関係ない
いつも同じ年齢なら、
何を始めるのにも年齢は関係ない。
いつだって初心者になる勇気を持つ。
これが心理的ハードルである。
少年が新しいことに飛び込むのが怖いように、
40代後半だって、60代だって、飛び込むのは怖いだろう。
でもえいっと飛び込む勇気が必要なのはは小学生でも壮年でも同じである。
年齢は言い訳にはできないのだ。
やってみるか、やってみないかである。
肉体にはタイムリミットがある、デッサンを始めた
とはいえ、経年変化していく肉体がある。
肉体は時間と共に変わっていくのである。
だから、今この瞬間、今年が一番わかいのである。
10年後思うのである。10年前に始めてたらよかったな、って。
私は今年45才ですが、デッサンを35才から始めてたら
デッサン暦10年でうまくなって楽しかったろうな、と思ったのである。
だから昨日からデッサンをはじめたのであった。

昨日が、残りの人生で一番若かったからである。
カメラを毎日持ち歩きはじめた
そして「重たいな」とか文句言わず、昨日からカメラを持ち歩きはじめた。

カメラも本格的に練習して作品をつくっていく。
カメラかろうじて昨年からはじめてよかったなと思う。
44才で始めたから、45才でカメラ暦1年となった。
これってほんと不思議なこと。
カメラ暦0年の45才になってたかもしれないのである。
去年はじめてくれて、ありがと。
