提供する側になってはじめて考える
日本茶スタンドで、テイクアウトのお茶を提供しながら、
当たり前に、紙カップの蓋はプラスチックであった。
煎茶は禅の教えと通ずるものが多数ある。
そうした時に、自然に調和してなるべくゴミを出さない、
華美に飾らない、なんていうのは当たり前のことなんだけれど。
同時に、ふとした自分達のエゴに気づくことも教えてくれる。
それが、プラスチックの蓋だった。
「まず、店内で飲むなら蓋いらないよね?」
最近スターバックスでも蓋をしないで提供することがある。
もちろん、マグで提供するというのもエコだ。
紙でできたコップだけで無く、蓋のプラスチックもやめれたら素敵なことだとおもう。
最近はローソンでコーヒーを買っても、どうせすぐ飲むんだからと、蓋をもらわなくなった。
これまであまりこだわりなくやってしまっている行動を、見直す良いきっかけになった。
今日から入梅、梅雨である。端午の節句?
この記事は西暦では6月9日(月)に書いている訳ですが、
旧暦では皐月の五日、なのです。
つまり今日が「端午、菖蒲の節句」なんですね。菖蒲の花はもう終わりのころではありますが。
今日は入梅。
これから梅雨にはいっていく今の季節に、
鎧兜を飾って、男子の無事を祈り、旗やのぼりを立て、それが後に鯉のぼりとなったと。
晴れの日ばかりではないけど
人生は晴れの日ばかりでは無く、
というか梅雨になれば雨の日ばかり。
なんとなく鬱屈とする日々もあるでしょう。
今朝の東京も雨の端午の節句である。
でもそんな中も、腐らず一歩ずつ、立身出世に向けて進んでいかないといけない。
そういうような気分だったのか。
雨の中の鯉のぼりは、
なかなかに生きる厳しさを感じさせるものだったかもしれないな〜と、勝手に想像してみた。
応援する立場になって
小学生の親は、まだまだあれも心配、これも心配である。
雨が降れば、
やれ「傘もってきな」「長靴はいていけ」
一方で「傘忘れてくるなよ」「濡れたら冷えるから拭きなさい」
とかく口数が多い。
子どもにしたらうるさくてたまらないだろう。
「お父さんもお母さんも、うるさいな〜」
という子どもの声が聞こえてくる。
親は何でもコントロールしすぎだ、と不満に思っているだろう、
事前にトラブルを回避させてあげたいという親心、雨が降りやすい季節というのは季節の巡りで予想がつく。
雨の日にこんな思いを自分はしてきた、という過去もある。
それを、子ども達に教えてあげたい、
できるなら同じ苦労や痛みを味わわないで済むようにしあげたい、と思うものだろう。
でも本当に今日曇りなのか、雨なのか、は誰も予想できないし
そして、雨の中をどう進んでいくか苦悩しながらも、自分で考えるしかないのが人生である。
親は、勝手に傘差してやっちゃ、だめなんだなと思うのである。