私の今年のテーマでもありまして、
皆さんにおすすめしたい考え方でもあります。
体力が無い、時間が無い、お金が無い、いろいろあるんだけど〜
詰まるところ、やるかやらないかである。
そんなことは分かっている。
ところが、やれないんだな〜これが。
そのなぜやれないのか?
それを日々追求しているのだけれど、私も含めて多くの大人がひっかかる罠が
「あと20分しかないし」
と言う思考である。
「企画書書こうと思ってたのに」
「ブログ書こうと思ってたのに」
「YouTubeとって編集してアップしようと思ってたのに」
などなどいろいろあるが、
12時に外出しないといけないとしよう。
そして時計の針はもう11:40である。
このときに「あと20分しかない」とまず思う。
そこで「時間の贅沢に慣れすぎているわたし達」は、
「あ〜企画書やるつもりだったのに、もう20分しかない。1時間はかかるはずだから、
じっくり取り組もうと思ってたのに。もうなんて俺はぐずなんだ〜。20分じゃ、もう歯磨いてトイレ入って外出だよ。」
とか言いながら、スマホでメッセージを返したり、
なんならブログなんて読んじゃったりしてるのである。
この感覚がまさに「時間の贅沢」であり、
無為にすごすことになって、
・仕事は進まず
・自己嫌悪が進む
のである。
「20分もある、将棋でも打とう」
小学生は、衝撃のアイデアを出してくる。
「え、マジで?決着つかないじゃん?」とかそんなの関係ないのである。
小学生にとって20分の中休みは、
重要な休み時間であり
自己裁量で遊べる
貴重な資源なのである。
その時間は20分、
たった20分だけれど
それを嘆いても仕方がない。
「よし、手打ち野球でもしよう!」と校庭に駆け出していった記憶はある。
そして気分的には1時間くらい遊んだのと同じ充実感が20分でもあるのである。
もちろん、トイレにも行くし、友達ともしゃべったりするのである。
小学生感覚で20分は十分に長い。
なのでiPadが使えるようになる15時まで20分残ってるから、
「将棋でも一局打とうよ」なのである。
将棋は打てるのに企画書は書けないか?否、余裕で書けるのである
20分でブログも書けるし、
企画書も書けるし、
YouTubeもとって編集してアップまで出来る(めちゃ急げば)
2025年反省して、より身軽な動き出しを意識している。
20分あれば、4kmのランニングに出て帰ってきます。1km5分のハイペースで、汗だくで息も絶え絶えだが、20分で行って帰ってくるのである。
「これなら、ランも毎日やれそう。正直、甘えてたな・・・。」
という感想である。
「時間が20分しかないとかいって、今まで諦めてごめんなさい。20分あれば何でもできました」
という訳である。
ついでに20分は、なんかちょうどいい単位
ついでに、20分っていうのは1時間の1/3であり、ちょうどいい単位だなと思ったのである。
20分のランはちょっとキツイ(シャワー浴びたりとかあるから結局40分、2コマ分)けれど
1つのタスクを飽きずに集中して取り組める。
さらに、座ってる時間が長くなっても結局仕事の効率は落ちてしまう。
座る
立つ
歩く
走る
を1日の中にちりばめながら、思ってた以上のことがこなせるようになる。
なんとなく1つのタスクに、
1時間を割り振ってしまっているような人は、
20分にしてみると、3倍捗ったような気分になります。
完璧を求めない、贅沢を求めない、20分でも十分たのしめるのである
娯楽でも何でもそうである。
20分を侮るなかれ、である。
1時間みっちりじゃないと物足りなーい、なんていうのはわがままであり錯覚である。
20分なら楽しい!と思ってる内におわる。
中だるみや、最後が尻切れで終わるようなこともない。
ぎゅっと濃縮して出来るのでおすすめである。