9才になる1児の父親でもあるひろおです。
起業して11年、そのうち9年は子どもと共に過ごしてきました。
抱っこしてオフィスに通った頃も懐かしい。随分大きくなって。もう勝手に育ってます。
まあ元々、彼自身のエネルギーで自分で育ってるのです。
子どもってそういうもんだ!っていうのもよく分かりました。
子育て、という言葉に違和感がある人はたぶんそういう所もひっかかるんだと思います。
自分で自由に育っていく1人の人間である、ってことです。
2本足で歩き始めた子どもに対して、
親ができるのはサポートすることよね。
とはいえ、
私自身も起業後、順風満帆ではなく、今も苦境に陥りながら(?)頑張って生き残って会社やってますが、
その中で仕事の時間と場所に、多大なストレスを感じてきて
「あーだこーだ」年中切り換えてやってきました。
保育園の近くに事務所を引っ越す
「旦那さん社長だから時間あるでしょ」
その指摘の通りで、自由になる時間の裁量は確かにあるのです。
夫婦共働きで、奥さんがサラリーマンだと「旦那が社長」は助かるのです。
いつでも迎えにいったりトラブル対応出来るし、
会社に子ども寝かせて、ハイハイさせて仕事もできるからです。
でもやっぱり、ミルク飲ませたり、おむつ替えたりしてたら
仕事の時間が無い訳で、赤ちゃん抱っこしてると、移動も大変ですしね。
よくタクシーに乗ってたな、と思い出します。
駅から遠い家に住んでたのです。
そして0歳児で保育園は落選、外苑前の無認可保育園に預けることに。
そこにどうやってつれてくんだ?と思い、
まずは自分の事務所も外苑前にしました。
しかしそれでも往復が苦痛でした。大変だったなーと思い出します。
時間と体力が削られます。
保育園の近くに住む
大人一人の感覚としては、代々木と外苑前なんて、
大して移動なんてしてない。走れるような距離なのです。
ところが!
乳幼児を抱えると移動が大変なのです。
当時は、朝は外苑前の保育園に預けてから、荻窪のスタジオ、外苑前のオフィス、天王洲アイルのオフィス、代々木公園の自宅をいったりきたりしていました。
そこで「保育園の近くに住んだほうがいいな。」これしかありません。
賃貸で自宅も好きにいつでも引っ越せる。
その強さを持って、ただし「まずは頼む!保育園に受かってくれ!」と祈った1歳児保育。
無事、新設園へ入園が決定!ところが歩くと20分くらいかかる距離。
「自宅引っ越すか。」
と保育園まで5分くらいのところへ引っ越しました。
さらに駅前という物件に。
これですべての移動が楽になりました。その後5年住みました。
オフィスをなくして自宅で仕事
外苑前にまったく行かなくなってしまい。
外苑前に保育園がないからそりゃそうです。
とりあえず外苑前はどのみち契約期間があったので満了までいての退去。
荻窪にもデスクがあった時代もあったので、週1〜2荻窪、あとは代々木公園の自宅、というスタイルに変えました。
これは一つの完成形です。
・家賃は自宅のみ
・すべての機器が自宅にある
・自宅なのに駅近!すぐ打ち合わせにでれる
・保育園も近い!なんかあってもすぐ迎えにいける
自宅で仕事の問題点は、ゴロゴロしたり、家事をしすぎる、くらいのもので、
これはこれで最良のスタイルなのです。
ただし、途中まではね!
奥さんがサラリーマンを辞めてジョイン、さらにコロナ時代へ
自宅で仕事が快適な理由は、
実際「自宅のアイドルタイム」を利用するからです。
自宅は家族が暮らしを営む場所であり、
仕事の場ではないのです。
しかし、日中保育園にいって、会社にいってると空いてるのです。自宅が。
そこで働いていたのです。
ところが、ある日奥さんがサラリーマンをやめてしまったのです。
そしてとりあえず夫婦一緒にプロジェクトを進めることに。
昼も夜もずっと家に二人となりました。
もちろんプロジェクトが進行してるので一緒に打ち合わせにいったり
当時はほかのスタッフもいたのでいろんな人とMTGしたり、
シェアオフィスと自宅オフィスをいったりきたりしてました。
この頃から、だんだん一人で作業できる時間が無くなり、
自分一人で考える時間がとれなくなって、悶々、もやもやとしてくるのです。
「隣で会議されてると、考えごとできないんだよな・・・。」と思いながらテレビ会議を眺めていたものです。
そこにコロナが襲来!
なんと息子まで毎日家にいるじゃありませんか!
しかももう元気な盛りで幼児になっていたのです。
走り周り、騒ぎまくっています。
「うるさい。頼むから君、静かにしててくれるかな?」
これは仕事どころではないな〜、と思う訳です。
広い自宅に引っ越すぞ!
息子がこれから小学生になるタイミングで、まだコロナの最中でしたが
これはかなわんぞ、と。
そして奥さんと進めていたプロジェクトも一段落し、カルチャー社もあらためて一人社長にまた戻ります。
その時に奥さんもかねてからやりたかったことをということで、
独立して社長になります。
自宅に社長二人は、なかなか騒がしくもあり、タイミングも会わないものです。
こっちが仕事したい時にあっちが家事。
こっちがお昼食べたいときに、あっちが会議。
別の会社、別のプロジェクトだからこそそういう噛み合わない事態もよく置きます。
自宅にいるけれど、音楽聴きたいのにヘッドホンで音楽を聞く、
ってのはなんか息苦しいな〜と思う訳です。
リビングを共有して、仕事するのは限界かもしれんな〜と思い引っ越しへ。
このときに、自宅兼オフィスの可能性を追求したかったのと、コロナでいつまで息子も毎日家にいるかわからなかったので、
「ちょっと広い家にでも引っ越すか」
と広い家に引っ越しました。
広い家は暮らしは快適です。ただしコストが高い。
そして引っ越して3年くらしてみて分かったことは
部屋がそんなに小分けにはなってない、ということなのです。
たくさん部屋があるわけじゃ無くて、マンションの一つ一つの部屋が広くなるんですよね。
だから何もないリビングの空間が半分あいています(笑)
だから自分の作業部屋はとれたものの、そんなに狭い家に住んでた時と使い勝手は変わらなかったのです。
これは盲点でした。
間取りの問題でもあると思います。
ただ条件にあったマンションを借りれるかってのはまた難儀なものですから。
で、事務所を借りたんです
事務所を借りた方がいいんだろうな。
シンプルなんだろうな、と思いつつ。
「事務所を持ったらもったでまた気苦労があるのよね〜」と二の足を踏んでました。
そこで、野沢さんがスタジオが空いちゃうっていうから、
これまでもそういうのにのっかっていろいろ借りてきたので
「いいね!一緒にやろう」と借りたのが橋場スタジオでした。
ちょこちょこ活用しました。
その中でいろんな仕事、可能性が見えました。
ただし!やっぱ、浅草まで行くのめんどくさいだよね、当たり前だけど。
場所はいる、撮影出来る、考え事出来る、設備投資は結局は次の仕事を呼び込む
そんな覚悟をもらった橋場。
とりあえず橋場は解約。
その後、HUTTEを活用しはじめます。それもかなり気づきあり。
そんな中で、
「結局は、自分の生産性。自分自身のアイデアを出す場所と時間がもっとも生産性が高い」
と思い至るのです。
駅前に書斎を借りる
そして2024年9月、11周年にまた書斎を借りました。
今回は
自分の考えるための、
書き物したり撮影したりするための自分専用です。
家から歩いて10分以内、
駅から徒歩0分という物件を借りました。
駅上だけど、
階段で5階の古いビルだから安かったのです。
即決です。
すでに大きくなり保育園の呼び出しとか無い訳で、
子どもも、なんなら一人で自宅で留守番してるわけです。
それどころか、
「土砂降りの中、お父さんの事務所の引っ越し手伝ったんだよ」
と息子が、美容師のエイジさんに説明していました。
そんなことが話せるくらいもう小さな大人になりました。
だから事務所がまた借りれたのです。
何が言いたいかと言うと、
1つは、家は奥さんが仕事する場所、私の職場は、やっぱりオフィス。
亭主元気で留守がいい(1986年の流行語)。
もう1つは、
息子にべったり、息子との暮らしを中心に、
仕事の場所を変遷してきたけど、
「もうお父さんの好きにしていいんだよ」
と言われた気がして、彼の成長をうれしく思うのでありました。
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日付 | 参加者 | 体重 / 体脂肪 | 前日比 |
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10/7 | ひろお | 67.6 | -0.5kg |
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