「私たち、取り替えないか?」
「へ?何をですか?」
「あなたと私、交代してみたら面白いんじゃないか、ってことさ」
「自転車のことですか?」
「そうだなあ、そう自転車もそうだけど、
服も取り替えて、俺の、いや私の代わりに、
高雄として過ごして見ないか?」
「ええっ!
そんなの無理に決まってる
じゃないですか。
ちょっと変な
冗談はやめてください。」
「無理かどうかはやって見ないとわからないよ。
現にこうして、
今、
あなたのことを見ていても、
まるで自分がびっくりしているようにしか見えないんだ。
頭が混乱してくる。」
高雄はまっすぐの目で
均を見つめている。
冗談を言ってる目ではない。
「誰からも気づかれない気がするんだ」
「仮にですよ、
気づかれるとか気づかれない、
とかじゃないですよ。
仕事はどうするんですか、
家族もいるし、
そもそも何のために
取り替えるんですか?」
「何のために
取り替えるかは・・・、
取り替えたら
わかるような気がする。
あなたに呼ばれたんだよ、俺は。
そんな気がする。」
「どうしたら
そういう話になるんですか、変ですよ。
取り替えるなんてできるわけないじゃないですか。
あなた普通じゃないですよ。」
「普通じゃない、
褒め言葉かな?」
「褒めてないですよ。
危ない人、ってことですよ。」
「危ない人、褒め言葉かな?」
「それも褒めてないですよ。
頭がおかしいってことですよ。」
「頭がおかしい、」
「いや、だから褒めてないってば。」
その時、スマホの聞き慣れた着信音が大きく鳴り響いた。
均は自分のポケットからスマホを取り出した。
画面は真っ暗だ。
高雄がビデオ通話で電話に出ている。
相手の声も聞こえる。
女性だ。
「今から家を出るけど、
どこで待ち合わせればいいんだっけ?」
「ああ、えーと」
高雄がこっちを見て何か 口をパクパクしている。
何か均に伝えたいのかもしれない。
「(どこで待ち合わせか、だって!)」
小声で、高雄が聞いてきた。
スマホの画面がチラッと見えた。
ビデオ通話の向こうには
すごく魅力的な女性が写っていた。均は落ち着かない気持ちになった。
「えーと、待ち合わせ場所は・・・、」
早くしろ、と言いただげな目で高雄が睨んでいる。
「え、駅とか?」
均が答えた。
「わかったわ、駅ね。9時には着くと思います。」
スマホの向こうの女性が答えて、高雄は電話を切った。
「そういうことなので、駅に9時でよろしく頼みます。」
「えーっ!そういうことじゃないですよ
どこだって聞くから、
答えただけですよ」
「自分で答えて自分で約束したんじゃないか。
自分の言動に責任を持った方がいいぞ」
「そういう問題じゃないないですよ、
そんなおかしいですよ。」
「約束したのに
それを破ろうとしている
君の方がおかしいじゃないか」
「そんなぁ」
「とにかく、
これで契約締結ってことで。
車の中で着替えよう。
9時まで、意外に時間がないからね。」
高雄に押し込められて、
二人は車の中で服装を交換する。
高雄の服は少しだけ香るいい匂いがした。香水だろうか。
「40過ぎると体臭も気になるから、ケアが必要だよね」
頭の中が読まれたのかと思って、
均は恥ずかしくなった。
「車の運転はできるから問題ないよね。
EVってガソリン車と違って
すごいトルクがあるから
最初の踏み込みはゆっくりね。気をつけてね。」
「じゃあ、今日はよろしく頼むね。」
高雄は、電動自転車にまたがる。
均はおかしな感覚に襲われてめまいがする。
自分が自転車に乗っている姿を、客観視しているからだ。
「今日は、デスクワークの予定だったので、
座ってれば、とりあえずなんとかなると思います。」
「均さんも肝がすわってきたね。」
「もうヤケクソなだけですよ」
均は海外のEV車の運転席でもう一度、操作を高雄に確認した。巨大なiPadのようなパネルしかないので、操作は簡単なようで、はじめてだと面食らう。
しかし、
一度運転してみたかったのだ。ハンドルを握ると、均は少しワクワクしている自分に気がついた。
「待ち合わせの女性の目印は何かありますか?
あとどこへ送っていけばいいんですかね?」
均は、高雄に尋ねた。
高雄はもう電動自転車で走り出していた。
「あー、妻の目印は、
青いワンピースを着ているみたいだった。
バッグは白じゃないかな。
行きたい場所は、特に決めてないから、自分たちで話して決めてくれ。
じゃあ、行ってきます。」
高雄は、ものすごい勢いで坂を登り始めた。
トルクがどうのこうの独り言が遠くに消えていった。
「妻って、今言ったよね。高雄さん、聞いてないよ!!」
大きな声で均は呼びかけたが、もう高雄は聞いていなかった。
聞いていたとしてもおそらく何も応えないのだろうと
均は思った。
(つづく)