十年以上前に経営コーチングを受けている時に、
「人に対する見方をどう変えるか?」
というテーマのセッションがあった。
出来る人、出来ない人、
優しい人、厳しい人、
いい人、悪い人
ついつい人は誰かを「評価してしまう」
期待したり、
期待しなかったり、
人を成果のための道具として
経営者やリーダー、ビジネスマンの多くが考えている。
その見方って変えられるんですかね?
というセッションだった。
期待していなかった部下に期待したら成果がでる?
期待されてない、
ということは本人に伝わります。
だから期待されてない部下は
期待されてない行動をとるのが当たり前です。
だから期待したら、
期待した動きをしてくれます。
相互作用でそういうものです。
だから、
まず部下や周りの人が全然働かないと思っているなら
あなたがそう思っているからです。
まず、ここまでが前段です。
「だから、誰にでも期待しないといけないのか〜」
と若いリーダーは早急に考えます。
これも全然まちがってるんです。
人を期待でコントロールしてはいけないのです。
人間は人間によって
期待されたり評価されたりする
そんな低レベルな存在では無いのです。
「誰もが生まれた時から素晴らしい存在である」「え!?そんな話?」
どうしようもない問題のあるスタッフについて。
「リーダーの考え方が間違っているから、
そのスタッフはどうしようもない問題引き起こすのである。」
ここまでは分かります。
相手に対する考えを根本から覆す必要がある。
問題を起こしたり、欠けていたり、足りない人などいないのである。
「すべての人が生まれた時から、すばらしく完全な存在なのである。」
それを聞いて、
「え!?あり得ない。問題がある人、いるでしょ!?」
そう反論したのを覚えている。
今、おそらくこの記事を読んでいる人も
半分くらいの人は私より若い人なので
この言葉、当時の私と同じように
「はいはい、スピリチュアルや道徳の話ね」
と受け入れられないだろう。
「私も歳をとって人生経験を積ん後なら、分かる日が来るのかもね」
という結論でそのセッションは終わった。
「私には問題があり、欠けている」と思う日々
20代30代は肉体的にも精神的にも成長期であり、
万能感がある。
40代になってようやく半生を振り返る機会がある。
残りの人生もイメージしながら、
残りの人生について、すこし見通しも立つようになる。
その時に、
自分のしょうも無さ、
器の小ささ、
自分が生きてきた意味って何だったんだろうな?
と思う日が絶対ある。
そして
「思い通りにならなかった」
と思うこともあれば
「あれこれ達成したけど、
やりたい事っていうのもこれといって無かったんだな」
と思う事もある。
どれもこれも
「私には問題があったんだな〜」
と自省する。そして
「私は欠けている。欠けていたんだ・・・。
欠けているかけらを見つけにいかないといけない」
と焦ったりする。
私の「かけら」を探しに出かけてしまうのである。
すべての人が生まれた時から、喜びに満ちた、すばらしく完全な存在なのである。
これまで、
親の期待に応えられなかったかもしれないし、
恩師の恩に報いることができなかったかもしれない。
自分自身のビジョンに届かなかったかもしれない。
何も考えず、ただ歳を重ねてしまったかもしれない。
欠けた部分は全然見つかってない。
どこの部分が欠けてるかも分からない。
そんな寂しさや悲しみに嘖(さいな)まれた時に、やっと意味がわかる。
今日、あなたがただ生きている、
それがすでに、すばらしく、うれしい奇跡なのである。
すべての人が生まれた時から、
喜びに満ちた、
すばらしく完全な存在なのである。
一所懸命努力して、何かになろうとしたり、
欠けていると勘違いして、存在しない「かけら」を探しにいかなくてもいいんです。
「何も目指さなくていいの。あなたは私の太陽だから。」