一本目の勝負から負けてしまった。次は負けられない・・・。
もう追い込まれてしまった。次負けたら、もうおしまいじゃないか。
「次負けたらおしまいじゃないか」
店員がつぶやく。
「多分、そんなこと考えてるよね?」
ニヤニヤしながら、隣に貼り付くようにソファに座る。
そしてリモコンを手渡してくれる。
「もうとっくに負けてるんだよ、そんなやつ。ほんとつまんない男だな君は」
こんなに近くに座らなくたっていいだろう。
なんでこんな二人しかいないのにこんなに近くに座るんだよ。
そう思いながら、次の曲を考える。
店員は、激しく脚を動かして貧乏揺すりをしている。
「なあ、ちょっと気が散るから貧乏揺すりやめてくれる?」
貧乏揺すりが嫌いなのだ。気が散る。
貧乏揺すりが好きな人間がこの世にいるだろうか?
「やってないよ、貧乏ゆすりなんて。僕がたとえ貧乏だって、貧乏揺すりはしないぜ。神に誓う!」
「なんなんだよ、お前はほんと。やってるって。それ、貧乏ゆすりしてるでしょ。自分の脚、見てよ」
男は、苦笑いしながら店員の脚を指さす。
「布袋だよ」
店員はぼそっと答える。
「は?」
ピンと来ない男に、店員はいらだつ。
そして「なんてニブい奴なんだ」という顔でまくし立てる。
「おいおい冗談だろ。俺たちの世代のロックスターといえばBOOWYだろ。あ、もしかして君は氷室派か?オーセンティックな奴だな〜。布袋のチャラさがいいんだろ。結局、布袋はうまくやってるじゃないか。ああやって自由にやればいいんだよ。氷室好きは自分の世界にこだわり過ぎなんだよ」
男は、驚く。
まさかこの店員、布袋ファンか。
そんな奴はBOOWYファンとは言えない。
「お前、何いってんだよ。俺だってもちろん布袋は好きだよ。でもBOOWYは結局、歌だろ。布袋バージョンのBAD FEELINGは最初はいいよ。かっこいいよ。でもさ、歌い出したら、みんな、あれ?あれ?ってなるだろう。この馬鹿野郎。全然わかってねえな。」
リモコンを急いで動かしてBOOWYのBAD FEELINGを入力する。
軽快なギターのカッティングリフが部屋に響く。
「おい、リモコン貸せ。音、もっとデカくしてやる」
店員は、リモコンを奪い取ると音楽の音を爆音にした。
二人は立ち上がり、踊り合いながらBAD FEELINGを熱唱する。
俺は氷室、君は布袋だ。
小太りで背中の丸まった店員がギターソロではなぜか布袋に見える。
そんなものかもしれない。
俺も今は、氷室だ。
男は貧乏ゆすりをする男がなぜ嫌いなのか思いだしていた。
最初の上司が常に貧乏ゆすりをしている男だったのだ。
いつまでもネチネチと責めることを好み、こちらが察しが悪いと非難しながら貧乏ゆすりをしていた上司。
さっきの店員と同じだ。たいして説明してないのに「分かるだろ?」と要求する。
分かるわけないだろ?
でも、その時も今日みたいに「この馬鹿野郎」って言って、殴ってやれば良かったのかな?
その上司がいるから自分はずっと結果を出せないと思ってた。
異動してそいつから離れることが出来るまで随分と長い時間がかかった。
俺はずっと我慢させられてきた。
俺はその貧乏ゆすりに、嫌みな上司のいじめに、我慢させられてきた。
自分の才能を発揮する機会を、封じ込める我慢をずっと行ってきたのだ。
曲が終わった。
「最高じゃん、お前最高だな!」
ハイテンションな店員に抱きつかれる。
BOOWYが最高なのだ。氷室が最高なのである。
でも、そうかもしれない。俺たちも最高なのかもしれない。
めちゃくちゃだった歌は、採点はその通りのもので75点。
これではもう勝ちは見込めないだろう。
「何が最高だよ、馬鹿野郎」
笑いながら、ソファに寝そべる。
「デカい声だしたから疲れたよ。コーラもってこい」
店員にコーラを依頼する。
「自分で持ってこい。今、選曲で忙しいんだから」
店員はリモコンを操作しながらぼそぼそ言ってる。
「あれも良いし、でもこれもいいなー、うーん、悩むー。名曲が多すぎる、選択肢が多すぎる」
男は、廊下に一度出る。
ドリンクカウンターの下の倉庫を開けると、未開封のペットボトルを見つけた。
賞味期限は過ぎているが、封が開いてるものよりマシだろう。
氷もいつのものか分からない。そのままぬるいコーラを注いだ。
一口飲む。
「なんだよ。ぬるくても意外に飲めるじゃん」
おぼんに、グラスとペットボトルのコーラを乗せて部屋に運ぶ。
爆音のギターソロが部屋からはみ出している。
それを聞いて思わず頬が緩んでしまう。
苦笑いしながら一人つぶやく。
「これも、俺は否定してたなー」
部屋に急いで戻る。
「遅いよ!もう始まってるよ!アッ!フッフー!」
ハイテンポで軽快なリズムに、こんなに脳天気で明るいフレーズが他にあるか?
と思える布袋のギターリフ。
「これはさすがに邪道過ぎるだろー!」
男は大笑いしながら店員と肩を組む。
店員の選曲は、布袋と吉川のユニット、COMPLEXの「恋を止めないで」
店員は、完全に吉川になりきって熱唱している。
「ねえ、おぼん持ってて!」
店員に曲の途中で、ドリンクバーのおぼんを男に要求される。
まさか。
お盆をあたまの高さに持つと、店員はジャンプキックをして、革靴のつま先でおぼんを蹴りとばして
そして着地するが、革靴のソールがすべって、ひっくり返って腰を殴打する。
そして身もだえて、ゴロゴロ床を転がっている。
男は爆笑しながら手を貸してやって急いで起こす。
そこからは肩を貸してやりながら、二人で熱唱した。
店員の歌はよかったが、途中ほとんどパフォーマンスに終始してほとんどマイクに向けて歌えてなかったので、点数は低かった。
「点数なんて関係ないんだよ。ロックだからね」
店員は69点の点数を見ながら、キメ顔だ。
「COMLEXってロックなの?ポップスでしょ?」
男は、店員のグラスにコーラを注いであげながら聞き返す。
「ここまでやりきってたらロックでしょ。歳を重ねると共に評価されてるのが吉川なんじゃない?チャイナシンバル蹴るのだってあの身体能力、誰もできないよ」
「なるほどねえ。俺、そんな風に思えてなかったわ。なんで氷室と別れちゃったんだよ、ってそればっかり考えてたよ」
「真面目すぎるんだよ。布袋になれよ」
「お前、ほんとは布袋のこと馬鹿にしてるだろ?」
二人は笑い合った。
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