保守的な中年男と、おかしな中年のバイト男の三本勝負。
カラオケのドアを開けて、薄暗く狭い部屋に入る。
液晶テレビにきらめく映像で部屋が明るくなったり、暗くなったり。
若くキラキラした男性アイドルグループが踊ったり歌ったりしている映像。
「お前みたいな、何の責任もなさそうなバイト男に、俺は負けるわけがない」
男の口から、自然と悪態がこぼれ、続ける。
「どうせ、ずっとそうやって何もせず生きてきたんだろう」
グラスをテーブルの上に置くと、どかっと男は腰をおろす。
こんな横柄な座り方も、誰かに面と向かって悪態をついた事など、もう記憶にない。遠い昔だ。
店員は、液晶パネルのついたリモコンを何か操作している。
「しかしまあ、弱い犬ほど、よく吠える」
ニヤニヤしながら、リモコンを差し出す。
「たまには、先攻してみろ。どうせいつも様子見。後攻ばっかり選んできた人生なんだろ?頭がいいフリか?この臆病者」
図星だ。俺はずっと様子見だ。
頭の中が怒りで真っ白になる。
顔もきっと赤いだろう。狼狽しているだろう。
そんな顔を見られたくない。歯を食いしばって店員を睨む。
「うるさい、俺が先にいれる」
自分のカラオケの得意な曲を十八番、おはこという。歌舞伎の得意な演目を選んだ18種から来る言葉らしい。
三本勝負の中で、最初に得意な曲をいれるか?
三本すべて勝ち越せる、とは到底思えない。
自分は最初に一勝をまず取って、そして気分を上げるが、巻き返され3本目をしっかり取る。
きっとそんな勝利プランだろう。
つまり大事なのは一曲目だ。
「君のことだから、負けた時の言い訳を考えながら勝敗プランを練ったり、負けを想定したプランとか考えてるんだろうな〜」
なんとでも言え。
勝てばいいのだ。勝てば。俺は勝つ。
「1曲目はスピッツのチェリーだ」
高校生の時に散々聞いた。
カラオケに行きまくっていた頃、一番歌った歌。人生で一番カラオケに通ったころの曲だ。
音程も完璧だ。90点以上は固い。
イントロが流れる。軽快なリズムと温かいコードだが、どこか寂しい雰囲気が漂う。
高校時代にはじめて、ちゃんと異性と付き合ったのだ。
誰かと付き合う、ということの意味がずっと分からなかった。
思っていた幸せな時間などは何も無く、ただ気まずく、何も言えない時間が続いたのだ。
二人きりになれるところを探して、カラオケに通ったのだ。
でもひたすらその密室で二人でカラオケを歌ったのだ。
交互に、お互いが話しているようで、独り言のように、俺たちはただ交互に歌を歌っていたのだ。
正直、顔も思い出せない。ただ、多分傷つけたのだ。
顔も思い出せない、何の話をしたのかも思い出せない。
チェリーを歌ったことしか残ってない。
チェリーが終わった。
「ふーん、まあまあだね。なんか切なかったよ」
中年バイト店員が珍しく褒める。
「あんなに抑揚も感情も無く歌って、人生楽しいの?もしかして、君 初音ミク?」
全然、褒めてなどいなかった。上げて落とす、最低な行為だ。
「いいからさっさと採点しろ」
ソファに倒れ込む。真剣に歌って酸欠だ。
「90点!わー、やるなー。」
ふん、ニヤリと男はして安心する。
「じゃ、次僕ねー。僕は、初音ミクのメルト歌うね」
「知らねえし。ボカロPとか、若い子の聞く音楽だろ」
「supercellのryoの名曲で、もう15年前だけど」
「え、ボカロってもう15年も前なの」
「ボカロがもう懐メロなんだよ」
店員は立ち上がると、知らないボカロ曲を歌い上げる。
とんでもなく、歌がうまい・・・。
「採点は〜」96点。
「ちぇっ。99点行くかなーと思ってたのに」
悔しそうにする中年バイト店員を見ながら、
保守的な中年男は、焦りはじめた。
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