メリークリスマス、朝のコーヒーを辞めてみた、ホセ・ムヒカ大統領の質素で豊かな暮らし

雑な暮らしの私とコーヒーの歴史は長い。

缶コーヒーから始まり、スタバなどになり、コンビニコーヒーとなる。

朝からアイスコーヒーとビールしか飲んでない暮らしも続いた。

アイスコーヒーとビール、吹き出物の人生から降りる

丁寧な暮らしとコーヒー

そしてコロナ頃から丁寧な暮らしに移行。

さらにいろんな人の影響で2023年より自分でコーヒーを淹れるようになり、

豆を挽くようになり、コーヒーメーカーもハンドドリップも試し、

お客さんにコーヒーを出したりもした。

自分で淹れたコーヒーが美味しくなるまで90日

コーヒーを毎朝、丁寧に淹れる暮らしは豊かかな〜、自由かな〜みたいな

そういうライフスタイルの憧れ、実験である。

そして2024年末、結局毎朝飲むのはやめてしまった。

2024年の撤退として、毎日、毎朝のむコーヒーの日課を11月末から手放し、

ちょうど1ヶ月たってみたので現段階の気持ちをまとめておく。

喫茶店やカフェ、15時くらいのティータイムにはコーヒーをまあまあ飲む

外出時やお客さん、スタッフとのMTG時に

カフェやオフィスで何か飲み物を飲む。

ここもコーヒーを減らしてはいるが、コーヒーしか選択肢がない場合もあるので結局は二回に1回くらいはコーヒー飲んでいる。

ただ毎朝必ず飲んでいたコーヒーは、お湯か紅茶に変えてしまった。

おいしい紅茶をビオセボンで買ったので気に入っている。

コーヒーを辞めたいと思った理由の最大は、歯がすごく汚れるからである。

紅茶も茶渋が付くけれど、やっぱりコーヒーの比ではないのである。

年末の最後の歯医者でクリーニングしてもらったので、

長持ちさせたいな、と思ったのである。

もう一つは、依存症である。

なるべく何物にも依存したくない

どうしたら自由になれるだろうか?真の自由とは何か?という不自由な問いを抱えているのである。

その中でやっぱりわたし達をいとも簡単にコントロールしてしまうのが、

快感物質による依存である。

コーヒーもチョコレートやアルコールやポルノと同等、強烈に依存させられる嗜好物である。

だから、自由を探している中で手放したいと思っていた。

飲んじゃいけないわけでは無く、

毎日飲まないと気が収まらないという状態を手放したかったのである。

結論、朝のコーヒーがなくなってもまったく困っていない。

むしろ紅茶のが簡単に淹れられて楽である。

次は紅茶に依存しないように、朝はいろんな暖かい飲み物をローテションしようと思っている。

さて、依存症を手放していけば

私は最終的に自由になれるのでしょうか?

貧乏=欲が強すぎて満足できないこと

もっとも貧しい大統領、ホセムヒカの本を読んだ。

ホセムヒカは私的財産は無いけれど、すごく豊かで幸福な大統領なのである。

逆にいえば、私はまさに貧乏だったのだな、と思った。

貧乏とは

もっとほしい、足りてない!という風に、無いもの・足りてないことに注目する、

もっと上を目指す、新しいライフスタイルに憧れる、

それはマーケットが生み出した集団の幻覚なのである。自由な時間を金儲けに費やして、

消費の歯車を全力で回し続けることになる。

「質素とは自由のための戦いである」

その流れと決別するために、質素という姿勢をとるのである。

すでにあるもの

持っているもので暮らし、

自由な時間を大切にする。

そうすることが、豊かな生き方なのである。