別に「俺はすごい」だけでなく「ワタシはすごい」と女性バージョンもあるのですが、それをいうのは8割以上男性だと思うので「俺はすごい」について考えていきたいと思います。
こういうタイトルをつけると「何か鈴木さんが最近遭遇した人物のことじゃないか」と心配になる方がいるかもしれないので、そういうわけではなく、自分と自分の子どものことがきっかけであることを説明しておく。
ストレートな「俺はすごい」身近な人に認めてほしい
「今日宿題をもう終わらせたのだ、俺はすごい。えっへん。」
というのがある。
これはストレートでわかりやすい。母親から褒めて欲しいのだろう。
しかし、得てして逆効果であり母親をゲンナリさせることが多い。「宿題が終わっても普通である、そういう、俺はすごい、と誇示するのはやめた方がいい」
と嗜められてしまう。
母親や彼女や奥さんなど身近な女性に認められたくて、男性はいかに「俺はすごい」かを話す。
それによって「だから(俺を選んだ)あなたの決断は間違っていない」と言いたいのだ。
しかし、その気持ちは伝わらず、ただただ鬱陶しいばかりである。
男性は競争し序列をつける。男性同士の複雑な「俺はすごい」
「俺は激レアカートを1回で引いた」
「10連ガチャでSSレアを出した」
などを、子ども含め男たちが自慢しあっている。
ギャンブルなんて胴元の胸先三寸であるし、運でもあるし、課金額の多寡でもある。
ここに実力も何もないと思うのだが、張り合わないと気が済まない生き物なのである。
自虐ネタでも競い合える。
「昨日は徹夜だった」
「いやいや俺は2徹だし」
「いやいやいや俺は今週一度も家に帰っていない」
など、不幸や苦労で自慢し合うこともある。勝負の世界は複雑だ。
発信もすぐに「俺はすごい」になってしまう
そうならないように気をつけていても、ついつい「俺はすごい」になってしまうことがある。
平日昼間に働かないように時間を作っている、というのは「俺はすごい」である。
働かないで左うちわな暮らしぶり、という金持ちすごいという自慢になってしまう。
しかし残念ながら自分は昼間は働いてないものの、
朝4時半から働いてるので、ただズラしているだけである。
しかし、
それでも「朝4時半から起きれる俺はすごい」になってしまうことがある。
「俺はすごい」ではなく「これは誰かの役に立つかもしれない」で発信
発信に絞っていえば、「俺はすごい」を回避するために知恵や経験のシェアに徹するである。
あくまで、読者の相手の顔を想像しながら
「あの人に教えたい」
「あの人が面白がってくれそうだな」
と相手の顔を思い浮かべながら、最近あった面白い話として自分の話をお送りすることである。
誰も「あなたはすごい」と言ってくれないのだから、まあ自分で「俺はすごい」というくらい許そう
もう一方で「俺はすごい」と実際は口にしないに越したことないのだけれど、
誰も「あなたはすごい」とは言ってくれないのだから、時々は「俺はすごい」と心の中で、思うことくらいは許してあげたらどうかと思う。
今日は勤労感謝の日、皆さんが自分自身の勤労に感謝して、俺はすごい、と褒めてあげてください。
編集後記
マンスプレイニングというモラハラ、パワハラ、セクハラの一種があり、
男性が自慢げに何かを説明することらしいです。
そんなこと言ったら、自分、毎日マンスプレイニングしかしてないんだけど、とショックを受けました。