昨晩の5月23日(旧暦で卯月十六日、満月)は満月でした。
皆さん、どんな夜を過ごしましたか?
ちょっと振り返ってみてください。
満月の日にオオカミ男になってしまうというのはわかりやすい寓話だと思う。
望月、満月に向けて大潮を迎え、満ちていく。
とにかく満ちていく、という印象である。
いろんなエネルギーが天体の並びにより満ちていく、
そういった循環である。
時間軸という考えはおそらくちょっとずれている
軸、というのは1本の棒である。
時間軸という言葉が数直線をイメージし、過去現在未来と一直線に並んで非可逆的な
つまり戻ったりできない一方通行である、と連想させる。
でもこれもまた人間が作り出した概念で、
何かプロジェクトを進捗して巨大な建造物をつくるための合理化の過程で
うまれる共通化のためのツールなんだなと思う。
自然の巡りの中で考える時間はおそらく、
軸、とはずれてくる。
時間は円環であり巡る、循環の方が自然な捉え方
天体が周期的に回ると言うことのほうが宇宙と地球において自然な事で円環していると思うのである。
前回の満月と同じように、また満月が満ちているのである。
これは、一直線にならぶ時間ではないと思うのである。
先月の満月の時の自分と、
今の満月の自分は1ヶ月成長した、歳をとったかもしれないが、
その循環の輪を重ねて言っている、繰り返しである。
そんな大きな円環の中のわかりやすい、認識しやすいものとしての月の満ち欠けである。
太陰暦が月と自然の満ち欠けを上手に人間にわかりやすく概念化してくれているものだとようやく理解した。
満月の夜は素直な気持ちになり揺さぶられる
満月の夜派、自分を映し出す鏡である。
天体の並びによって生まれる引力によって、
体と脳と心が満ちて、解放されようとしてしまうのである。
そうすると、たくさん蓋をしている人ほど、
あれも開けられ、これらもこじ開けられ、揺さぶられる。
だから不安になってしまう。
その不安を紛らわすために、ぱーっと騒いだり、
だれかとつながっていたいと感じたりする、そんな夜なのである。
それを認識して知っているだけで落ち着ける
なんか変だな、情緒不安定だな、と思っても、
今日が満月かどうか知らない人が多い。
私達はコンクリとアスファルトに囲まれて暮らしていても、
自然の一部なので、天体の巡りの影響を大きく受けている。
よせてはかえす波のように、不安や希望が押し寄せてくる。
それを、意識、思考、知識のレベルでわかっていれば、
「まあ、満月だからね。オオカミになってしまってもしょうがない」
と不安な焦燥感を理解することが出来る。
それでまあ、落ち着いたらいいよ、と教えてあげることができるのである。