努力と根性、何でも精神論?

「た、竹槍!?これで飛行機と戦えと?」

まあ、ぜったいそう思ったよね。

でもそんな意味の無いことでも、上が指示しないと集団がまとまらない、とんでもない不幸な洗脳状態にあったんだろうと思う。

集団に所属しすぎると、自分で考えることが難しくなる。

努力と根性、とは忍耐の強要であり、集団の意図の方がつよい状態である。

これは極端な一例だけれども、現代でもある。

しょうもないブラック企業で、武器は竹槍。

それで玉砕してこい!と朝7時からパワハラ営業会議。

電話機をガムテープで手に巻き付けられて21時までテレアポ。

電話がかけられる時間を過ぎたら、営業資料のアップデート。

今日未達だった営業成績の反省文を書いて上司に提出。

スタッフはもちろん疲弊。それをとりまとめて上に報告するマネジャーも疲弊。

一方、経営者はホステスの愛人を社内に入れ込んで、マンションでも買っている。

とんでもない?けどよくある話?

ヘッド(頭)が仕事してなかったら、

まずはどうしようもないという一例である。

まずは頭脳労働。きちんとした戦略と道具が必要

商売をすすめていくためには、頭脳労働が必要である。

足で稼ぐのではない、脳に汗かくのである。

信じられる戦略と、

その戦略を実行できるまで組織を鍛える教育、

顧客が価値を感じられる商品開発、

すべて頭脳労働である。

頭脳労働という点では、努力研鑽、継続する粘り強さ、根性が必要である。

頭脳労働は、皆が思ってる以上に絶大な効力を発揮する。

最初によく考える。

「何を捨てるべきか」「何を為さないべきか」を考えないといけないのである。

戦略的全廃棄である。

じゃあ頭脳的には十分によく練られた!その後は?

ロジカルにはよく練り上げられている。完璧だ。

でもこれじゃうまくいかない。

頭でっかちな人達は、資料つくって計画つくって終わりである。

誰が動くのか?

あなたが動くのである。

頭に汗ばっかりかいていてはしょうがないのである。

部屋を出て、人に会いに行け、という訳である。

顧客がいるところにいって

顧客の行動を見に行き、触れてもらって、その表情を直接見に行かなければならない。

またはプロダクトをつくっている現場で、

みんながどういう表情で働いているか見に行かねばならない。

足で稼ぐのである。

身体で稼ぐのである。

身体に汗かかないとだめなのである。

精神と感情のぶつかりあい

なんで完璧な計画なのにうまくいかないのか。

自分がみんなが動いてくれないのである。

つまり、計画が嘘っぱちなのである。

だれもそんなことやりたくないのである。

やりたくないけど、儲かりそうだからやってるのである。

そういうのは、ロジカル的に破綻なくても、

はじめっから破綻してるのである。

自分が生きていく中で大切にしている精神性、

心地よいと感じる感情、

それらが求めていることに従う必要がある。

自分に嘘をついて、活動できないからである。

たとえ世のためになる、儲かる、としても、

自分の精神性と感情にフィットしてなかったら、やれないのである。

何かを為す時に、もっとも大切なのは、精神性である。

努力と根性はたしかに、精神にまつわる話ではある。

でも精神論には、努力と根性以外の要素もあるのである。

友愛も、正義も、公正も、探求も、自由も、

人間が求める高い精神性、すべてが精神論の中には含まれている。

努力と根性、忍耐だけが、わたし達が使える精神的道具ではないのである。

もっと多彩に、いろんな原理原則を用いて、

自分の精神にフィットしたアプローチをとれるのである。