他人の問題を解決しよう

毎日、毎日、問題解決の日々である。

問題は次から次にやってくる。

さらにいえば自分で問題をつくっている。

問題製造機、それも大量生産機である。

問題は過去によって作られている。

過去の自分の決断が今日の自分の問題をつくっているのだ。

自分の問題の解決、ところがこれが1円にもならない

自分の問題を解決すること、

それ自体はすばらしいことである。

取り組んだ方が良いし、自分を大事にする、自分を解放する、それは第一ステップである。

しかし自分の問題にばかりフォーカスし、

また日々、自分で問題ばかり作っていると「流れ」が無くなり困窮するのである。

それが「人間」というものである。

別々の、人と人、の間も含めて、人間であり人間社会である。

他人と関わらない限り、いろんな「流れ」が滞ってしまうのである。

わたしの問題は、他人の問題?

「流れ」をもうすこし具体的にイメージしてみると、

それは人間同士の「感謝の流れ」であり「お金の流れ」である。

経世済民(けいせいさいみん)世の中をよくして、民を救うとして「経済」である。

救いと感謝の循環が経済である。

誰かの感謝で、今日もご飯が食べていける訳である。

「わたしの問題」を、わたしがうんうん悩んで解決しても「流れ」は生まれない。

しかし、わたしが「あなたの問題」をわたしが解決すると、

「わー、ひろおさんありがとー。」と感謝の流れが発生する。

わたしの今日の生きるご飯となるのである。

同じように「これがどうしても出来なくてどうすればいいですかね」とわたしが誰かを頼ると、

「あー、それってこういうことなんですよ。ついでに最初だけやっときますね」

とやってもらったりして「すごい!そういうことだったのか!ありがとうございます」と

ギャラを払っても足りない感謝があったりする。

そこでも流れが生まれる。

自分が今抱えている問題は、誰かが通った道だったりするのである。

逆もまたしかりで、誰かが抱えている問題は、自分が通ってきた道だったりするのである。

他人を助け、自分も他人に助けてもらおう

頼ることが出来る人の方が、強い人である。勇気のある人である。

弱さを見せることが出来る人であり、より素直で裸な人である。

ドラッカーも「機会に集中せよ」と言う。

それは過去の自分の決断、内部の問題、過去にとらわれるな、というメッセージである。

顧客も市場も機会も、すべて自分の外にあるものだからである。

自分は他人の問題を解決する。

自分の問題は他人に解決してもらう。

それの方が、流れがうまれてお互いに助け合い、喜びと感謝が生まれる。

不思議な物である。

1=1 みたいな事が、1+1=2 となるのである。

社会的には 2倍の成果である。

わたしが知っている問題であれば、何でもアドバイスするので気楽に連絡してほしいのです。